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日本も昔は出稼ぎ労働者を送出していた。 [外国人労働者]

最近、移民ネタが多いなと反省しつつももう1本。日本が送出国から受入国に変わっていき、受け入れる外国人労働者は昔移住させていた日本人移民の子息であるというのは因果を感じる。

1.概要
国策移民:我が国も、国内の過剰労働力を背景とした1880年代から1970年代前半にかけては移民送出国であった。移民送出は国策として実施された。
ハワイ・北米本土(1880年代~1907年):初期の移民はハワイや北米本土へ主に短期出稼ぎを目的として行なわれた。これらの出稼ぎ収入の80~90%は、負債償却と不動産購入、貯蓄に充当されていた。しかし、米国での反日感情の高まりとともに激減した。
中南米(1908年~1973年):北米に代わる移住地として、日本政府は南米に注目し、1908年の笠戸丸のブラジル・サントス港入港を嚆矢として同地域への移住者送出が始まり、1941年までに18万8千人の移住者がブラジルに送られた。第二次大戦中いったん中断したブラジル移住は戦後再開され、同国の他にパラグアイ、アルゼンチン、ボリビア、ドミニカなどに移住者送出が拡大した。

2.特徴
定住目的:中南米への移住者は殆どが定住を目的とした家族での移住。
後発国への移動:人の移動は生活水準が比較的低い国から高い国に向かうのが普通であるが、我が国の中南米移民は、比較的生活水準の高かった日本から低かった後発中南米諸国に向かって移動したという点で特徴的。
移住者の出身地域:広島、沖縄、熊本、福岡、山口などが上位を占めるが、当時の我が国の地方経済状況からみて最も貧困な地域ではない。また、移住者の中には地主や大土地所有者も含まれ、ほぼ全ての所得階層から移住者が出ている点でも特徴的。
受入国での貢献:日本人移住者、日系人は、受入国において様々な分野で活躍しており、各国の産業・経済の発展に大きく貢献し、我が国と受入国との緊密な関係の構築にも寄与してきた。例えば・・・
パラグアイ:戦後の日本人移住者がもたらしたトマト、キャベツ、レタス、カボチャなどの種苗と栽培技術は、同国の食生活の改善に大きく貢献。特に大豆生産は同国の輸出収入の40%前後を占める外貨稼得の主力産品として成長している。
日系人の本邦就労:現在我が国が受け入れている外国人登録労働者の中核は中南米の日系人。2005年4月のIDB年次総会に先立って行なわれたセミナーにおいて、IDBは、日本に暮らす中南米の出稼ぎ労働者が2004年に本国の親族らに向けて行なった外国送金の総額は、26億6,500万ドル(約2,900億円)と推計され、米国に次ぐ第2位の中南米向け個人送金大国になったことを報告。2003年の日本の中南米に対するODA総額約4億6,390万ドルの約5.7倍に相当する巨大な額(米国の対中南米送金額は320億ドル)。日本に滞在する中南米移民の送金総額が分かったのはこれが初めて。

3.JICAの関与
移住者送出支援:1963年、日本の戦後移住政策を統括する組織として海外移住事業団(JEMIS: Japan Emigration Service)が設立され、74年に国際協力事業団に統合された後、1994年度に移住希望者向け訓練・送出支援サービスの停止するまでに、JEMIS及びJICAは約73,000人の海外移住を支援してきた。
本邦に在留する移住者子弟の人材育成:日本語学校生徒支援、日系人本邦就労者帰国前技術研修、日系人本邦就労者日本語研修、日系留学生研修・奨学金制度
海外での移住者・日系人社会支援:営農技術指導と普及、保健医療サービス提供、日本語教育実施などを支援
国際協力の側面強化:日系人関連事業のうち、日系研修員受入、日系社会ボランティアなどは1996年度より技術協力の一環として位置付けを整理。

あまり中身が詰まっていないけれど、横浜には移住資料館(http://www.jomm.jp/)というのがあるので少し参考になるかもしれない。


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