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『安楽病棟』 [帚木蓬生]

安楽病棟 (新潮文庫)

安楽病棟 (新潮文庫)

  • 作者: 帚木 蓬生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/09
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
深夜、引き出しに排尿する男性、お地蔵さんの帽子と前垂れを縫い続ける女性、気をつけの姿勢で寝る元近衛兵の男性、異食症で五百円硬貨がお腹に入ったままの女性、自分を23歳の独身だと思い込む女性…様々な症状の老人が暮らす痴呆病棟で起きた、相次ぐ患者の急死。理想の介護を実践する新任看護婦が気づいた衝撃の実験とは?終末期医療の現状と問題点を鮮やかに描くミステリー。
600頁超の小説はさすがに読み始めるのにも勇気が要るし、読み切るためにはまとまった時間も必要だ。我が家にある帚木作品最後の蔵書は、今回の一時帰国にあたって、移動時間を使って一気に読もうと考えて鞄の中に入れた。以前も述べたが、帚木作品は読み始めから60~70%までの展開が非常に緩やかで、その後で一気の急展開を見せるというケースが多いように感じる。『安楽病棟』も、630頁強の作品中、最終章に至るまで結局急展開と言えるような急展開もなく、最終章で城野看護師が気付いた衝撃の実験が看護婦から犯人に対する手紙という形で明かされる。それまでの流れは非常に緩い。全体の3分の2は城野看護師の日記のような形で纏められているが、その緩さは痴呆症状のある高齢者を収容する痴呆病棟の看護師に求められる器量なのではないかと思う。

一応ミステリーではあるのだが、あまりミステリーっぽくなミステリーであった。むしろ、痴呆老人がどのような経緯があってこうした病棟に収容されてきたのか、ケースが非常に多く紹介され、かつそれに対して痴呆病棟の看護はどのように行なわれているのかも淡々と描かれている。こうした病棟でも特に大変なのは食事、排泄、入浴だと思われるが、それがどのように行なわれるのか、看護側がどのように対応するのか、とても詳しく描かれていて勉強になる。相手の立場になって考えること、相手の発したいと思っているメッセージを理解することの必要性が強調されているような気がする。

僕はこの一時帰国中に大学院に休学届を提出し、自分がインドにいる間にやりたかった研究をインドを離任した後であってもどのような形なら再開できるのか、少し考えてみたいと思っているところである。もともとこの本を前回の一時帰国中に購入したのは、小説を読んで学ぶものもあるのではないかと考えたからであるが、そうした意味からも、城野看護師の口から語られる言葉の幾つかはとても示唆に富んでいると思った。以下に2つほど例を示す。
 病棟で患者さんと接するにつれ、家庭で高齢者と住むのは大変なことだとつくづく思うようになりました。違った世代がひとつ屋根の下で暮らすのは、太古の昔から人類がやってきたことではないか、何で現代人だけができにくいのか、そんなはずはない、努力が足りないだけだという反論が出るかもしれません。しかしひと昔前とは取り巻く環境も、当事者たちの心理状態も、大きく変化しているのです。
 第一に、現代の高齢者は60歳や70歳ではなく、80歳、90歳なのです。平均寿命が延びているとはいえ、頭脳の質は変化がありません。つまり、昔であれば頭脳が衰える前に身体が衰えるので、ひからびた脳が露顕することはなかったのです。ところが、今は身体が頑丈に持ちこたえるので、脳は衰え果てる最後まで舞台に立っていなければなりません。寿命が延びたというのは、脳の寿命とは関係ありません。脳だけは取り残されたまま、お年寄りは生き続けなければなりません。
 第二に、ひと昔ふた昔であったなら、子供と両親そして祖父母は、三世代ひっくるめて同時代人であったと言えます。同じ環境と教育、価値観で育てられ、見るもの聞くものも三世代で大した違いはありませんでした。ところが現代では、取り巻く環境の変化、価値観の変化にはめまぐるしいものがあります。現代の10歳の違いは、以前の20歳、30歳の違いに相当するのかもしれません。(後略)
 そして第三に、世の中から高齢者の存在が隠されてしまっていて、わたしたち若い世代は小さい頃からお年寄りの姿を目にする機会がないまま育っています。(中略)わたし自身、看護婦になるまで、というよりも痴呆病棟に配属されるまで、高齢者のことなど眼中にありませんでした。例えば街のアーケードの向こうからお年寄りが歩いて来ていたとしても、わたしの目には見えなかったはずです。いないも同然の存在でした。今は違います。デパートでもスーパーでも、バス停でも、お年寄りが眼に入ります。誰と一緒か、どんな服装をしているのか、どんなものを買っているのか、どこか身体の不自由なところはないのか、ついつい観察してしまうのです。(pp.468-470)

 おしなべて患者さんたちは、どんなに痴呆であろうと、分け合い、助け合い、そして感謝を忘れていません。おやつの小さな羊羹でも、それが好物な人には半分に割って与えています。隣の人の湯呑みにお茶がはいっていないのに気づけば、自分のお茶を少しついでやります。助け合いは、いつものことです。ピクニックに行くとそれがよく分かり舞う。足の悪い人に手を貸し、ゆっくり歩きます。団体で行動するとき、一番弱い人の立場をみんながそれとなく気づかってくれるのです。
 (中略)
 分け合いと助け合い、そして感謝の3つは、現在のお年寄りをはぐくんできた奥ゆかしい文化の名残りかもしれません。これがもう少しあとの世代になると薄れていき、わたしたちがあの病棟のお年寄りの年齢になったとき、もはやそんな美点もなくなっているはずです。
 その意味では、痴呆患者であっても、わたしたち以上に人間的だと言えるのです。(p.626)
薬品を使った安楽死を密かに進めていた香月医師に対する反論として城野看護師が主張していたのが上記の引用最後のポイントであるし、僕らが痴呆老人と接する立場になった時にも決して忘れてはいけないポイントでもあるように思う。

夜、就寝前に本書を読んでいて、娘が「ねえ、何読んでるの?」と聞いてきた。残念ながら長男は僕がどんな本を読んでいるのかにはあまり興味がないみたいだが、娘は時々この質問を投げかけてくる。内容を軽く説明した上で、「10年後のおじいちゃんやおばあちゃんだけじゃなく、お父さんも介護してくれよな」と軽いジャブを放っておいた。本人には言ったことはないが、城野看護師のような看護師にでもなってくれないかなと娘には実は期待している。

余談だが、小学校を卒業したばかりの長男は、将来何になりたいのか「まだわからない」と言う。「まあ、なんでもいいけど、人や社会の役に立つ仕事はして欲しいよな」――僕は自分の期待をそう長男には伝えたところだ。戦争に使って人を殺める機械に興味を持つだけじゃなく、看護や介護をすこしでも楽にする機械、これから高齢者がもっと増えてくる地域での生活を少しでも便利にしてくれる機械を開発してくれたら嬉しい。
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コメント 1

kozy

今でもたまに、祖母を世話をしているので、看護や介護をすこしでも楽にする機械、開発してもらえると本当にうれしいです。「安楽病棟」興味持ちました。ただかなりのページ数ですね。挑戦しようか迷います。
by kozy (2010-03-27 22:09) 

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