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9.命と向き合う [S.D.Gokhale]

Gokhale1.jpg 1947年、私はタタ社会科学大学院(TISS)でソーシャルワークの勉強をしていた。インドが独立し、そして悲しいことに分離した年である。

 当時の首相だったジャヤハルラル・ネルーがTISSの学生に講演しに来訪した。私達に話しかけながら、ネルーは私達の学部長だったシュリ・クマラッパにこう尋ねた。「学生諸君は教室や図書館や大学の構内にいて、命について何を学ぶことができるというのかね?このキャンパスでは見ることができない命の現実と直接向き合うことで命について学ばないといかんよ。印パ分離は実に沢山のホームレスを生んでしまっている。ここの学生が本当のソーシャルワークをやりたければ、印パ国境に行かなきゃ駄目だ。」

 ネルー首相のアドバイスを受け、私を含む10人の男子学生と10人の女子学生が、ベーラム・メタ博士をチームリーダーにいただき、デリー、クルクシェトラ、パンジャブを訪ねた。パンジャブが私達の最初の拠点だった。マウントバッテン卿夫人の監督下で何グループものボランティアが働いており、夫人は私達に次の3つの活動を割り振った。

1)デリーに来た何百人もの避難者を登録すること

2)インドからパキスタンに移住しようとする避難民を輸送する列車に同伴で乗り込み、復路は逆にパキスタン側からインドに移って来る避難民をエスコートすること。

3)クルクシェトラに難民キャンプを開設するためのボランティアとして働くこと

 クルクシェトラで私達が見たのは人類史上最大の移動で、一方からもう一方へと移動する行列は10マイルも並び、それはそれはとても驚くべき光景だった。登録作業も困難を極めた。移動してくる人々は表情が凍りついており、中にはひとことも話すことができない人もいた。全てを残して移動を強いられたトラウマと、困難を極めた長距離移動のせいで、話せないほどのショックを受けてしまったのである。

 こうした避難民の登録作業をやっている間に、私は忘れがたい経験をした。80歳の男性が私の足をつかみ、水を求めてきたのである。男性は狂乱状態になっていた。私が彼を抱きしめると、彼は突然号泣し、自分の身の上話を始めた。彼はラホールでは大きな邸宅に住む羽振りのいい宝石商だった。しかし、狂信的ムスリムの暴徒によって娘はレイプされ、妻は殺害されてしまったという。私は慰める言葉がまったく見当たらなかった。

 列車に同乗して避難民をエスコートするのも気持ちが萎える仕事であった。駅を出発すると、イワシの缶詰のように列車は乗客でぎゅうぎゅう詰めだった。しかし、列車が目的地に着く頃には、多くの兵士が乗り込み、生きている乗客は減っていた。

 100万人近い人々がクルクシェトラでは難民登録に訪れた。軍はテントや食糧、水、トイレなどの手配で、受入前に膨大な作業を行なった。軍が直面していた様々な制約を考えるとその効率的な働きは称賛に値する。

 私達は仮小屋で難民と寝起きし、食べ物や水、配給される物資を分け合い、間に合わせのトイレで用を足した。メタ博士が言うように、概して「それは真のソーシャルワークの大きなレッスンだった。」

 私達がボランティアとして割り当てられた仕事を終えようとしている頃、ネルー首相が私達のキャンプを訪れた。1人の年老いた女性が、感激のあまり彼の足下にひざまづこうとしたが、ネルーはすぐに体を前にかがめ、彼女の足に手を当て、こう言った。「お母さん、私が首相だからといって私の足に触らないで下さい。あなたは私よりも年長だし、首相として私はあなたに奉仕するのは自分の義務だと思っています。ここに来てあなたをお助けするからといって、私は誰にも感謝を強制しようとは思っていません。」こうした寛大な言葉やしぐさは私を大いに感動させた。そして、私はクルクシェトラの難民キャンプでの6ヵ月は実に多くの実りある教訓を縮約したものであったと思う。それは私の60年にもわたる専門家としての経験をもってしても比肩しうるものではない。
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