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10.引き返せない一本道 [S.D.Gokhale]

Gokhale1.jpg マハラシュトラ州社会福祉局の局長補佐を務めていた頃、私は州内のとある村で雑貨屋を営んでいたラメシュワールという男と出会った。彼は神を畏怖しており、毎日寺に通い、バジャン(神に捧げる歌)を歌っていた。彼はとてもいいのどをしていたのである。

 ラメシュワールはその誠実な働き振りを取引相手からもよく知られており、村人からも「いい人」として尊敬を集めていた。彼のお店にやって来る人は、彼が売り物のジャッガリー(ココナッツヤシから採る粗黒砂糖)から噛まれることなくアリを取り除いている姿をよく見かけたからである。サソリが彼を刺したことが一度あったが、彼はたじろぐこともなかったという。単純に物事を考えてしまう村人には、彼のこうした魔法のような力は実際には感覚の喪失によるものだということまではわからなかった。それはハンセン病の最初の兆候だったのである。

 少し後になって、ある日、村の床屋がラメシュワールの散髪のためにやってきた。その時この床屋は、ラメシュワールの耳が異常に厚くなってきて、片耳に傷跡があることに気付いた。こうして誰もがそれがハンセン病であると疑いはじめた。

 床屋というのは、インドのどこの村や町においても情報を広める放送局の役目を果たす。ラメシュワールのケースでもそうだった。あそこの雑貨屋やハンセン病に罹ったらしいという話は数分もしないうちに村中に知れ渡った。

 ラメシュワールはただちに見捨てられた。店には誰も来なくなり、彼がどこに出かけて行っても村人は彼を避けるようになった。じきに彼はこの地域を出て行き、追放者としての悲惨な姿で生きていかねばならないと悟った。

 そこで彼はハンセン病診療所にやって来た。そこでは定期的な治療を受けることができ、彼のハンセン病は完治した。しかし、戻って行って頼れる親族がいないラメシュワールは、村に帰るのを拒否した。代わりに、彼はその施設に住み続け、歌を教えることで生計を立てることを選んだ。
 
 私は彼の言葉をよく覚えている。「俺はもう二度と帰らんよ。ハンセン病に一度かかってしまったら、四方を塀で囲まれた収容所で一生暮らす一本道なのさ。」私はラメシュワールに、今は世の中が変わって、インドのようなかたくなに伝統を守ろうとする社会ですら、ハンセン病罹患者に対してそんなことは思っていないと説得しようと試みた。今日ではMDT(多剤併用療法)というのがあって、ハンセン病はすぐに治せるし、MDTはどこでも手に入る。費用はタダである。現代科学はハンセン病が遺伝性の病気ではないことを実証し、身体の変形すら外科手術で矯正することができる。ハンセン病に付きまとうスティグマ(負の烙印)も、様々なNGOの崇高な取組みのお陰でかなり少なくなってきている。私は、こうした環境がもっともっと早くから生まれていればラメシュワールのような人々が後戻りできない一本道で生きていかなければならないなどという状況にはならなかったと思うと、残念でならない。
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