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軽い言葉 [時事]

「全力で取り組む」
「しっかりと取り組んでいく」
「万全を尽くす」
「責任を持って」


政治家が発する言葉で、無味乾燥な響きを持つのといったら、少し前なら「遺憾」であったが、東日本大震災発生以降、「全力で」「しっかりと」「万全を」といった言葉が政治家の口から発せられる機会が増えて、その響きに虚しさばかりを感じている。そんなにいろいろなことに「全力」で取り組んでいったら、それ以前に「全力で取り組む」と言った話はどうなるのだろうか。こういう言葉は言われても文句は出ないだろうけれど、単なる場当たり的発言にしか聞こえないと思うのは僕だけだろうか。

場当たり的だなと思うのは、上で紹介した記事にあるような口約束である。日本が再建されるのっていつのことなのだろうか、それまでこの人は首相をやっているのだろうか。

まあ、外相在任中は「ODAの絶対量を増やすべき」と言ってたのに、立場が変わると2割削減を平気で口にできるような人がいる政党である。「再建されたらODA予算を何倍にも増やす」なんて言った本人はその場はいいかもしれないが、彼の後任がそんな口約束を守ってくれる保証なんて120%ないだろう。

そもそもこの日は朝刊に載っていた「首相歳費返上」を見て、この方針って、菅さんが首相辞めても後任の首相に引き継がれるような話なのかねという話を妻としながら苦笑いをしたばかりだった。

まあかく言う僕も同じような立場に置かれたらこんなセリフしか言えないだろうなとわかっているので、目クソ鼻クソの話になってしまうが、僕ごときが言えそうなレベルのことを1国のリーダーともあろうお方が言ってちゃマズイと思うのだが…。
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noga

持論・結論がなければ、議論する資格もないはずだが、相手かまわず言いがかりをつけて議論をしたがる人がいる。
折角、相手を議論で打ち負かしても、それに代わる自説を提案できないのは非建設的である。
議論では「破壊は建設なり」とは行かない。不毛の議論にしかならない。時間はいくらあっても足りない。

自説を述べればそれで万事発表は終わる。
さらに、自説に似た他説があれば、自説の優位性を述べることも有益なことである。
これは、人類の進歩につながる建設的な態度である。

考える人にならなければ、自説はできない。このような人は、とらえどころのない人と呼ばれている。
しかるに、丸暗記と受け売りの学力を使って議論をしかけようとしている。
真正でない学問をもって世俗におもねり、人気に投ずる言説をなすことを曲学阿世というが、こうした行いが横行している。
こうした行為は、あながち個人の責任には帰しがたいが、由々しい事実であることには間違いない。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

日本語には、時制というものがない。だから、未来時制もない。
自分達が努力して向かうべき理想の内容も語られることがない。いわゆる無哲学・能天気である。
未来社会の内容が明らかにならないので、われわれは未来社会の建設に着手出来ない。

日本人の世の中の把握の仕方は、現実の有様に関するものである。「世の中は、、、」の形式で表現される内容である。
現実の内容は、皆がほぼ一致する。一人から答を得たら、それで皆の答がわかる。
現実の内容は、変えられない。政治家には、政治哲学がない。
だから、日本人は閉塞感に襲われる。
英米人の世界観は、未来時制であり現実とは別次元の内容である。
これは人によって違うから、意見は一人一人聞かなくてはならない。
良い提案があれば、相互に協力して建設に励むことができる。

皆が同じ現実の内容を話すばかりでは議論はいらない。
「理屈などは、どうでもよい。現実は見ればわかる」ということになる。
議論をすれば、現実描写に関する個人的なケチの付け合いとなり喧嘩になる。
皆が仲良く生きてゆくには、問答無用で生活することである。
現実にばかり囚われては、別次元の世界が一向に見えてこない。向かうべき所に関する夢も希望もない。
それで、諦観も必要になる。

アングロ・サクソンの考え方が我々の現状の打開策となるであろう。
彼らのメンタリティを理解するために、我々には英語の勉強が必要である。
ある時、私はアフリカの学者から「日本では、何語を使って大学教育を行っているのか」と尋ねられたので、「日本の大学は、日本語を使う」としごく当然のように答えると、相手はびっくりしていた。
きっとその人は、日本語で学問ができるなどとはとても考えられなかったに違いない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812



by noga (2011-05-12 00:06) 

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