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16.ありがままを受け入れよ [S.D.Gokhale]

Gokhale1.jpg カマラ・ニムカール女史と私がハンセン病回復者支援委員会のメンバーとしてマハラシュトラ州ナガールを公式訪問した時のことだ。途中にあるスィルールという村の学校にちょっと立ち寄ってこようということになった。インド人のホスピタリティには境界がない。私達も例外ではなくサルパンチの歓迎を受けた。(サルパンチは村長のことだ。)サルパンチは私達が絶対立ち寄ってお茶でも飲んでいけと強硬に主張し、それはなかば強制のようなもので、私達には選択の余地がなかった。

 当時、スィルールはとても小さな村で、とりたてて言及できるような目立ったインフラもなかった。なんとかやりくりし、サルパンチは私達に出すお茶を調達してきた。お茶自体は非常に強く、とても甘く、村の典型的な真鍮製のタンブラーに入れて提供された。ニムカール女史のお茶には小さな草っ葉が浮いていた。自分の手を使うのが好きな私達インド人なら、優美にそれを指でつまんで弾き飛ばしたことだろう。しかし、ニムカール女史はインド人と結婚したアメリカ人で、インドにも長く住んでいたにも関わらず、西洋式の癖が染み付いてしまっており、私達が指を使うような器用なやり方に馴染めないでいたのである。

 彼女はストレーナー(濾し器)を求めたが、そんなものが近くにあるわけがない。お茶自体がそこから遠く離れた誰かの家にあったものだからだ。ニムカール女史の苦戦を見てとったサルパンチは、お茶の入ったタンブラーを自分に貸すよう言った。「私がお茶を濾しましょう。」彼は空のタンブラーを1個持ってくるように言い、ドティ(ズボンの代わりにインド人の男性が腰に巻いている伝統的な布)をストレーナー代わりに使って、タンブラーのお茶を空のタンブラーに注いだ。

 このような風変わりな濾し方は、ニムカール女史を震え上がらせるには十分だった。彼女はすぐに抗議した。「あなたなんでこんなことするの?あなたのドティが汚れちゃうじゃない。」これに対してサルパンチはそっけなくこう答えた。「ああご心配なく。そのドティはすでに汚れていたから。」

 私はニムカール女史をなだめすかし、そのうちようやく彼女も濾過したお茶をすするようになった。私はこう言ったのだ。「カムラさん、インドで草の根レベルで社会福祉の仕事をやっているなら細かいことをいちいち騒いでいるわけにはいきませんよ。この状況とともに生きていかなきゃ。」
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