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『七帝柔道記』 [読書日記]

七帝柔道記

七帝柔道記

  • 作者: 増田 俊也
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2013/03/01
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
「七帝柔道」という寝技中心の柔道に憧れ、二浪の末、北海道大学に入学した。しかし、柔道部はかつて誇った栄光から遠ざかり、大会でも最下位を続けるどん底の状態だった。他の一般学生が恋に趣味に大学生活を満喫するなか、ひたすら寝技だけをこなす毎日。偏差値だけで生きてきた頭でっかちの少年たちが、プライドをずたずたに破壊され、「強さ」という新たな世界で己の限界に挑んでいく。悩み、苦しみ、悲しみ、泣き、そして笑う。唯一の支えは、共に闘う仲間たちだった。地獄のような極限の練習に耐えながら、少年たちは少しずつ青年へと成長していく―。
僕には弟がいる。小学校から柔道を始め、ウェートもそこそこあったことからメキメキ頭角をあらわし、高校では主将を務め、県下で中学時代から凌ぎを削ったライバルO選手はその後筑波大学に進み、バルセロナ五輪にも出場した。そんな弟は京都大学に進学。いったんは柔道部に入部したものの、すぐに退部したらしい。曰く、「耳が餃子のように変形している先輩が多かった」らしい。

後の五輪代表とも県下でそこそこ張り合った重量級の弟が、なぜ京大で柔道を辞めてしまったのか。

本書を読んでみたら、その理由の一端を垣間見た気がした。高校まで弟が学んできた柔道は立ち技・投げ技を中心とする講道館の柔道だ。しかし、京大柔道部が実践していたのは、関節技・絞め技等の寝技を中心とする、全く異質の柔道だった。僕らが五輪の試合等でよく見る、「技あり」「効果」「有効」「指導」等はなく、あくまで勝負は「一本」のみ。寝技に入っても「待て」はなく、場外もなく、ひたすら寝技の攻防が繰り広げられるらしい。当然、畳に顔を擦られて、耳が餃子のようになるのはやむを得ない。立ち技とは全く異質の世界なのだ。「あれは柔道やない」―――たまたま帰省して久しぶりに会った弟に京大時代のことを訊いてみたら、弟はそう言っていた。

寝技で雌雄を決するような柔道は、練習量の違いが如実に表れる。大学生活の全てが稽古に捧げられ、勉強や研究どころではない。退部した弟の判断も間違ってはいないと思う。現に弟はその道では頭角をあらわし、このご時勢にもその技術は顧客から引く手あまたで、現在は社長を務めている。もし京大で柔道を続けていれば、当時京大は旧帝国大学7大学で行われていた年1回の対抗戦で6連覇を果たしており、元々重量級でもあるのでその連覇にもある程度は貢献していたに違いない。だが、今とは全く違う人生になっていただろう。

さて、翻って本作品である。京大6連覇の直前、七帝戦で2連覇を果たしたのは北海道大学(北大)であった。しかし、連覇の主力となった重量級の選手が引退し、北大は部員数不足、重量級選手の人材難に陥り、七帝戦で最下位の屈辱が続いていたらしい。そこに名古屋から二浪して入学してきたのが著者。七帝戦で母校の勝利に貢献することを目指し、最初から留年も辞さず、教養学部の授業には全く出席せず、ひたすら稽古に明け暮れる。男女交際もサークル活動も華やかだった学生時代に、道場通い、出稽古に明け暮れ、何度も「落とされ」、退部したい気持ちにも時々かられながら、それでも稽古を繰り返した。小説の舞台は著者が大学入学した1年目と2年目7月の七帝戦までが描かれている。最初は先輩の寝技にひれ伏す著者をはじめとした1年目の新人たちが、その練習量に裏打ちされて力をつけ、2年目の七帝戦の戦力として逞しく成長していく姿が眩しい。

著者は僕よりも2歳年下で、かつ二浪して北大に入学しているので、舞台となるのは1986年から87年、弟が京大に入学する1年前である。当然ながら本書に登場する京大選手の何人かは弟も面識がありそうだが、この時期僕も1年留年していて、本書と僕の学生時代は1年だけ重なっている。東京のミッション系大学で軟弱な学生生活を僕が送っていたちょうど同じ頃、北の大地ではこんな熱い男の世界が展開されていたのかと思うと、種目は違っていても僕も体育会剣道部に入って5年間を過ごしてみたかったと思わずにはおれない。

それぐらい胸が熱くなる作品だった。580頁もあるとんでもない大作だが、読み始めると頁をめくる手が止まらなくなり、なんと1日で読み終えてしまった。また、読み終えたら自分も何か体を動かさずにはおれなくなった。

なお、本書は著者の大学2年目の7月までしか描かれていないが、その後の著者がどうなっていったのか、登場した人々がその後どうなったのかについては全く言及がない。七帝柔道に興味があってYouTubeで調べてみたところ、「「七帝柔道記」の「その後」」という動画が既にアップされていた。



寝技中心の柔道―――もし七帝柔道出身者がその後プロレスの門を叩いたら、「関節技の鬼」藤原喜明や、当時新日本プロレスが招聘していた旧ソ連のサンボ出身のレスラー達とも相当いい勝負をしていたに違いない。立ち技中心の格闘技と違い、絞め技や関節技は地味でわかりにくく、面白くないのかもしれないが、当時は既に関節技やガチンコ勝負に関心も集まり始めていたので、旧帝大出身のプロレスラーも注目を集めていたことだろう。


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