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『リトル・ブラザー』 [読書日記]

リトル・ブラザー

リトル・ブラザー

  • 作者: コリイ・ドクトロウ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2011/03/10
  • メディア: ハードカバー
内容(「BOOK」データベースより)
サンフランシスコに住む17歳のマーカス・ヤロウは、コンピューターやゲームに強い、ごくふつうの高校生。じつは、w1n5t0n―ウィンストンのハンドルネームをもつハッカーでもあった。校内に設置された歩行認識カメラをだましたり、居丈高な生徒指導主任の個人情報を調べたりするのは、お手のもの。だが、ある日、授業中に親友のダリルといっしょに学校を抜けだし、他の高校の仲間たちと遊んでいた最中に、世界が永遠に変わってしまう事件が起こった。サンフランシスコ湾で、大規模な爆弾テロがおこなわれたのだ。警報が鳴りひびくなか、避難しようとしていたマーカスたちは、テロリストの疑いをかけられ、国土安全保障省に拘束されてしまった。最初は尋問に抵抗していたマーカスだったが、やがて肉体と精神の両方をいためつける厳しい拷問をうけるはめに…。ネット仲間やガールフレンドとともに、強大な国家権力に対して果敢な戦いをくりひろげる高校生マーカスの活躍をあざやかに描く、全米ベストセラー長篇。ジョン・W.キャンベル記念賞、プロメテウス賞、ホワイトパイン賞受賞。
コリイ・ドクトロウというSF作家のことは、先月紹介した『Fabricated』を読んでいる中で初めて知った。そこでは彼の2010年の作品『Makers』のことが触れられていた。これもいずれ読んでみたいのだが調べてみると『Makers』はまだ邦訳版が出ておらず、日本語で読める唯一のドクトロウ作品が『リトル・ブラザー』であることを知った。原作は2008年発表である。

ドクトロウの作風が知りたくて、取りあえず『リトル・ブラザー』から読んでみることにした。本編だけで400ページを超える大作で、しかも冒頭紹介の通りでコンピュータやネット、ハッキングの知識がある程度ないと、この作品の面白さは十二分には味わえないかもしれない。そういう難解な記述は置いておいて、一般の読者ならスリリングな展開を味わうだけでも十分楽しめると思う。カテゴリー的にはジュブナイル小説なんだろうけれど、オジサンでも十分面白かった。ちょっと古いけど、1980年代半ばにリリースされた映画『WAR GAMES』を想起させる。

特定秘密保護法とか安保法制といった最近の日本で起こっていることを考えると、本書で出てくる米国の国土安全保障省(DHS)が国内で行っている活動に近いことが日本国内で行われていても、それは特定秘密保護法の対象に恣意的に定められてしまい、国家が国民のプライバシーを侵害し自由を侵す事態が生じないとも限らない。フィクションとはいえ、そんな社会を具体的にイメージするには、こういう小説もなかなか役立つ。

相当窮屈な社会になる。目を付けられたらどこでも監視される。どこからネットにつながってもどこの端末からアクセスしたかわかってしまうし、携帯のGPS機能のお陰で、今どこにいるのかもわかる。Suicaは便利だけど自分がいつどこからどこまで移動するのにSuicaを使ったか、どんなものをどこで電子マネーで購入したのか、全部記録されてしまう。リアルタイムでデータが取れるし、後から追及することだって可能だろう。

若干のネタばらしをしてしまうと、この事件のきっかけとなったサンフランシスコ・ベイブリッジ爆破テロ事件の発生時、たまたま主人公マーカスとその仲間達はその現場に近いところに居合わせたがために、当局にテロ関与を疑われて拘束されてしまう。国民をテロの恐怖から守るという名目で、実際のところは一部の怪しい国民を危険分子として隔離して徹底した恐怖に陥れるという、ちょっと信じられないことを当局はやっているわけだけど、結果的にはマーカスたちの無実は晴れたものの、肝心の爆弾テロの真犯人は結局捕まったのかどうかが本書ではわからない、そんなモヤモヤ感を引きずったエンディングになっている。白か黒かのはっきりした決着というのはないのかもしれないが、せめて真犯人が誰だったのかというところまでは触れて欲しかった気がする。

驚かされるのは、米国の高校生の頭の中。学校の社会科の授業で合衆国憲法で保障されている米国民の権利について、それが侵害されることが許されるのはどのような状況にある時か、あるいはいつ何時も許されるべきではないのか論じていたり(しかも社会科の先生はファシリテーションだけをやっていて持論の押しつけをしない)、1960年代に既に没していた作家ジャック・ケルアックの小説を読んでいたり、ジェイン・ジェイコブズの都市計画に関する著作を知っていたりする。それだけジェイン・ジェイコブズが米国では有名なのだということなのかもしれないが。

 そのことがはっきりわかったのは、すばらしいベテラン都市計画専門家、ジェイン・ジェイコブズのインタビューを読んだときだった。彼女はフリーウェイで街を切り刻み、貧しい人々をみな公営団地に押しこめ、都市計画法によってだれがどこでなにができるかをきびしく規制することがなぜいけないかをはじめて明確に指摘した人物だった。
 ジェイコブズの説明によれば、本物の都市は有機的で多様性に富んでいる――金持ちも貧乏人も、肌が白い人も褐色の人も、アングロサクソン系もメキシコ系もいて、小売店も住宅も、それどころか工場まである。そういう地区はありとあらゆる人々が昼も夜も四六時中行き来しているので、ありとあらゆる必要に応える商売が成立するし、通りにはつねに人の目がある。
 だれもがそういう地区を知っているはずだ。魅力的な店がたくさんあって、スーツ姿の人も流行の服を着ている人もいて、高級レストランもポップなカフェもあって、小さな映画館があったりして、家々には手のこんだ塗装がされている。そんな、どこかの街の古い地区を歩いたことがあるはずだ。そういうところにも、きっとスターバックスがあるだろう。でも、フルーツがきれいに並んでいる果物屋や、三百歳に見える女性店主がはさみで慎重に花を切っているのが窓から見えている花屋もあるはずだ。そういう地区は、モールのような設計された地区とは正反対だ。そういう地区は、いうなれば自然庭園、さらにいえば森だ。育ったものなのだ。
 シヴィックセンターはシヴィックセンターでしかない。ぼくが読んだインタビューのなかで、ジェイコブズはシヴィックセンターを建設するために取り壊されたすばらしかった古い地区について語っていた。そこは、まさにそういう地区、許可も特定の理由もなしに生まれた地区だった。
 シヴィックセンターは数年後には街で最悪の地区のひとつになるだろう。夜はゴーストタウンと化し、雑草じみた酒屋と薄汚い安宿が点在するだけの地区になるだろう、とジェイコブズは予言したそうだ。(pp.340-341)
なんでこんな記述を挿入する必要があったのか、その後の朝の通勤客でごった返すシヴィックセンター周辺の様子を描いた文章からは理解に苦しむが、でも勉強にはなった。

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