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『みかづき』 [読書日記]

みかづき

みかづき

  • 作者: 森 絵都
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2016/09/05
  • メディア: 単行本
内容紹介
「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです」――昭和36年。人生を教えることに捧げた、塾教師たちの物語が始まる。胸を打つ確かな感動。著者5年ぶり、渾身の大長編。
小学校用務員の大島吾郎は、勉強を教えていた児童の母親、赤坂千明に誘われ、ともに学習塾を立ち上げる。女手ひとつで娘を育てる千明と結婚し、家族になった吾郎。ベビーブームと経済成長を背景に、塾も順調に成長してゆくが、予期せぬ波瀾がふたりを襲い――。
阿川佐和子氏「唸る。目を閉じる。そういえば、あの時代の日本人は、本当に一途だった」
北上次郎氏「圧倒された。この小説にはすべてがある」(「青春と読書」2016年9月号より)
中江有里氏「月の光に浮かび上がる理想と現実。真の教育を巡る人間模様に魅せられた」
驚嘆&絶賛の声、続々!昭和~平成の塾業界を舞台に、三世代にわたって奮闘を続ける家族の感動巨編。

「驚嘆&絶賛の声」に参加させて下さい。本当は週末読書は前回ご紹介した『X'mas Stories』に限定するつもりだったのだが、久し振りにジムでトレッドミルに乗るにあたって、1時間ゆっくり走りながら読める本ということで、土曜日に『みかづき』のKindle版を購入して読み始めたところ、日曜午後に続きを読み始めてそのままハマってしまい、日曜午後の予定をすべてキャンセルして読み続け、夜20時前にようやく読了した次第。それほどにのめり込む作品。

お話はほとんどが千葉県内、八千代、習志野、船橋、津田沼あたりで完結しているが、話のスケールは壮大である。ストーリーの始まりは昭和36年(1961年)。そこから、55年にもわたる長いお話であるが、実際には赤坂家の千明と父親との戦前のやり取りの回想シーンなども出てくるので、さらに20年近く長い。当然、その間に政府がその政策遂行の柱として教育制度をどのように捉え、どのようにそれを操作していったのかも描かれている。途中何が何だかわからなくなったが、それは僕自身がこの国の教育政策の変遷と、それが社会からどのように見られていたのかをしっかり知らないで読んでいるからそういう事態に陥るのである。

特に千明さんが何故そこまで文部省を敵視するのか、なぜそれが千明さんだけだったのか、同じ世代で教員をやっているような人は、同じように感じたりはして来なかったのか。また、千明さん絡みで言えば、吾郎さんが千明さんや事務室長の策謀により塾長を追われて退場する前と後で、千明さんの描かれ方に大きな変化が見られて戸惑った。吾郎さん目線で見た千明さんて、目が鋭すぎて鋭利な刃物みたいだったとあるが、吾郎さん退場の後、話が千明さん目線に移った途端、鋭利な刃物というよりは、きついオバサンという感じで捉えられてしまうようになった。この目線の変更には正直戸惑った。

さて、話は大嶋吾郎さん目線の時代から、次に大嶋(旧姓赤坂)千明さん目線の時代、さらには少しだけだが吾郎・千明夫妻の三人娘―蕗子、蘭、菜々美の目線と千明さん目線が交錯する時代があり、最後には蕗子の長子である上田一郎クン目線の時代へとシフトしていく。大きくは三部構成ということができる。先ほども述べた通りで、第一部から第二部への移行は吾郎さんの塾長解任という結果がもたらしたものでかなり違和感のある展開だったが、第二部から第三部は間に数年間の空白はあるものの、一郎クンが挫折しそうになりながらも踏ん張って、祖父母や両親の時代になし得なかった、「塾に通う費用を負担できない子供の能力を伸ばす学習支援」というところに非営利でアプローチしていくという、新たな道を切り開いていく話で、今の時代背景に見事に合っていると思う。さすがに話がちょっと軽くなった感じはしたが、ゼロから新しいものを作り上げていくプロセスをかなり綿密に描いていて、この部分だけをとってもなかなか面白いストーリーだと思う。

折れそうになりながらも、自分なりに踏ん張り、根気よく学習支援NPO活動を展開していった一郎クン―――彼のように、うちの子供たちにもなってもらえたらいいなぁと思った。
「今は万事小器用な人間がウケる時代かもしれんが、要領がいいタイプというのは、その場その場の小さな成功に満足してしまうきらいもある。時間をかけて大きな仕事を成すのは、要領よりもむしろ粘りに長けたタイプ」
この吾郎さんが一郎クンにかけた言葉、これを要領の悪そうなうちの子供たちにも贈りたいと思う。

この小説のタイトルがなんで『みかづき』なのかという点については少し補足する。これは、文部省の教育施策に対して真っ向から敵対して塾経営を展開してきた千明さんが、晩年に吾郎さんに語った言葉とされている。
これまでいろいろな時代、いろいろな書き手の本を読んできて、一つわかったことがある。どんな時代のどんな書き手も、当世の教育事情を一様に悲観しているということだ。最近の教育はなっていない、これでは子どもがまともに育たないと、誰もが憂い嘆いている。もっと改善が必要だ、改革が必要だと叫んでいる。読んでも呼んでも否定的な声しか聞かれないのに最初は辟易したけれど、次第に、それはそれでいいのかもしれないと妻は考えはじめたそうです。常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない、と。

また、この作品も、日本の教育制度史を小説を通じて学べるという点で、英訳されて海外でも出版されたらいいのにと思ってしまった。ホント、誰か翻訳やってくれないですかね?


タグ:千葉 森絵都
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