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『マラソンマン』 [読書日記]

高木一馬は、負けず嫌いの小学3年生。その父・勝馬は、かつてはマラソンのトップ・ランナーだったが、今は酒とギャンブルの負け犬人生を送っている。そんな2人に、突然、離別の危機がおとずれた。父と子の絆と、過去の栄光をとりもどすため、勝馬は、ついに再起の道を歩みだす!幻のランナー、奇跡のカムバックなるか!?井上正治の情熱のマラソン・ストーリー、スタート!

10月末、第1巻を読んでから、ここまで約2カ月かけて全19巻を読み切った。この作品が週刊少年マガジン誌に連載されたのは1993年半ばで、僕は一念発起して出場した1992年12月の第20回ホノルルマラソンを走り終え、次の目標と定めていた、「30歳で伊良湖トライアスロン挑戦」という夢に向けて、準備を重ねていた頃のことだった。

当時は未だ独身だったし、残業が多い会社から転職して比較的時間の融通が利く会社に移った頃だったから、朝6時台で10kmを走ってから出勤するというのがいつものパターンで、月間走行距離は200kmを越え、しかも懸案だったオーシャンスイミングに向けて、プールでの練習も相当積んでいた。

当時の日本の陸上長距離界は、92年のバルセロナ五輪で男子は森下、女子は有森が銀メダルを獲得し、世界最強のマラソン王国と見られていた。東京マラソンが火をつけたランニングブームは今も健在だが、当時はこうした陸上長距離界の活況が市民のマラソン熱を引っ張っていたように思う。僕の場合は、26歳(1989年)の初秋、季節の変わり目で体調を崩して寝込んでいた時にテレビで見た伊良湖トライアスロンが自分のだらしなさを痛感させ、1991年の秋に始まった第1回東京シティマラソン(ハーフ)の募集が、具体的に大会出場を目標にして、走り込みを始めるきっかけだった。東京シティマラソンは申込みが間に合わなかったので、代わりに出た最初のマラソン大会が1992年1月のサンスポ千葉マリンマラソンだった。

当時はランニングの月刊誌は読み漁っていたし、そういった中で連載が始まった『ランニングマン』も、第1部の高木勝馬の復活劇から、第2部で大学生になっていた息子・一馬のライバルとしてY学院大学のロジェ・ミルバが登場するところまでは、少年マガジンで読んでいたように思う。僕がマガジンと縁を切るきっかけは1995年の結婚と海外赴任だったので、全19巻中、9巻から10巻あたりまでが、僕の記憶で辛うじて残っているギリギリのところだといえる。

今回は、懐かしかっというのと、こちらで会員になっているジムでトレッドミルに乗りながら読み物するのに何か漫画でもないかと物色して、第1巻がたまたまキンドルで無料ダウンロード可となっていたのが読み始めるきっかけとなった。当然、ロジェ・ミルバが登場してから後の話の展開は僕は知らないことになるが、いずれにしても20年以上前の作品であるため、一馬少年時代の話もほとんどうろ覚えで、次の展開が知りたくて、ついつい2巻、3巻と読み進めることになってしまった。

そんなにすんなりと話は進まないよとツッコミを入れたくなる展開が何カ所もある。特に、大学入学して水泳を辞めて駅伝部に入った一馬が、落ちこぼれのDグループに配属されてそこから這い上がって1年で箱根駅伝のアンカーを任されるまでの話の展開は、先輩で筑摩大学のエースランナーである阿川との出会いが8月だったとして、箱根までは4カ月少々しかない。にもかかわらず、北海道合宿でのクロスカントリーに始まり、西伊豆トライアスロン出場に向けたバイク練習、低酸素室での疑似高地トレーニング、食生活の見直し、全日本大学駅伝、賭けマラソン、そして箱根へと続くその過程で、一馬があまりにも急激に強くなっていくのには戸惑いすら覚える。ドラマチックなストーリーの盛り上げ方が必要だったのはわかるにせよ、随分と盛ったなというのが、今振り返ってみての感想である。

まあそれは置いておいても読んでて元気が出るスポ根モノであることは間違いない。幸い、今は再びのランニングブームが訪れており、カラフルなシューズやウェアで街を颯爽と走る女性ランナーの姿もよく見かけるようになった。僕自身も、2001年頃から辞めていたランニングを、仲間にも恵まれたことから2013年に再開し、現在に至っている。

こんな時代だからこそ、今一度こんな父子鷹のスポ根モノを読み直してみてもいいかもと思う。

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