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ジャージ通学論争の行方 [ブータン]

金曜、土曜限定のジャージ通学
Tracksuits only on Fridays and Saturdays
Kuensel、2017年5月2日、Yangchen C Rinzin記者
http://www.kuenselonline.com/tracksuits-only-on-fridays-and-saturdays/

2017-5-6 Jersey.jpg

【ポイント】
ティンプー市は、市内の小中高校に対し、生徒が金、土曜日に行われる保健体育の授業に向けてジャージで登下校することを認める方針を打ち出した。これにより、この両日は、民族衣装姿での朝礼は行われず、通常の授業もジャージで受けることが認められる。小学校(Primary School)の保健体育は金曜日、中・高等学校(Middle and Higher Secondary School)の保健体育は土曜日に授業が行われる。今週中に各校への通達は行われ、即日実行に移される見込み。

3月8日、市はジャージの着用は保健体育の授業と学校の体育行事の時間に限って認めるとの方針をいったんは打ち出し、同16日には市内の各学校に対し、保健体育の授業の後は民族衣装への着替えを徹底させるよう通達した。さらに、市内34校(うち私立は15校)は、保健体育の授業は土曜日にだけ行うよう通達を受けていた。しかし、こうした方針は、教員や父兄からの評判が悪く、授業運営がしにくいとして批判を浴びてきた。

このため、市は各校校長と協議し、金、土の2日間での保健体育の授業という方針に転換した。各校とも保健体育科目の運営にある程度の裁量を得られるものとしてこの方針を歓迎している。

ティンプー市の決定は、今後全国の学校での保健体育科目の運営に影響を与えるものと見られる。

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この国で暮らしていると、伝統文化の保全という政策目標が極端な形で具体的な施策になって表れるというケースを度々目にする。ちょうど1年前の今頃は、女性の民族衣装で肩から掛ける「ラチュ」と呼ばれるショールの模様を、伝統的な数パターンに限定するという政策が打ち出されて女性から不興を買い、撤回されるという出来事があった。これも当初の言い分は、ラチュの模様のパターンが伝統的なパターンからどんどん多様化して発展していくのがけしからんということにあったと理解している。

今回のジャージ騒動も、民族衣装の軽視につながるというものだったと思う。僕らは土日は休みだから特に土曜日の市内の様子しか実際に目にする機会が少ないが、確かにジャージ登校は一般化しているし、各校のジャージがそれぞれ特徴的で、僕はそれを見ているだけでも結構興味深かった。勿論、これらのジャージはほとんどが外国からの輸入なので、ジャージ着用がブータンの伝統文化を損なうという見方もあるだろうが、とはいっても一般市民ですら土日になるとゴやキラを着ている人が少ない今のブータンで、「ジャージはダメ」という政策が受けるのかというと疑問ではあった。

ただ、「土曜限定[×]ジャージ通学不可」が「金・土限定[×]ジャージ通学可」に変わったことでも、僕にはよくわからないことがある。ここの授業は1日7時間制で、土曜日は午前4時間、つまり、小学校が保健体育に割ける時間は週7時間、中・高校は週4時間しかないことになる。そこに詰め込まれたら保健体育を教える先生は金・土はてんてこ舞いになるが、それ以外の曜日は暇ということになる。保健体育の先生って、どんな人がなっていて、どんな働き方をしているのだろうか?

また、僕らの小さい頃の経験からすると、ジャージ通学の是非はともかく、授業と授業の間に着替える時間が十分あれば、それで問題なかったとも思う。この国の学校では、授業と授業の間の休み時間が設けられていない。例外は午前中の2時間目と3時間目の間の休み時間だが、それ以外には休み時間がないので、体育の授業で校庭に移動する時間もないし、ジャージに着替える時間もない。結果として生徒は平気で遅れて来る。このパターンは小中高校から大学にも引き継がれ、休み時間がないのに講義室は移動を強いられるのだから、学生が遅れて入ってくるのは当たり前。それが社会人に引き継がれるから、「遅刻は当たり前」のカルチャーがそのまま醸成されていくのである。

日本を訪れたことがあるブータン人は、「日本人が時間を守る」というのに感銘を受けるというのがお決まりのパターンだが、そういうところに感銘を受けるということは、裏を返せばそういう育ち方をしてこなかったからである。教育現場から変えていかないとこのカルチャーは直らない。

だから、ジャージ通学の是非ではなく、保健体育の授業はジャージ着用というのなら、保健体育を特定の曜日に集中させるという解決法の対案として、休み時間をちゃんと設けるという政策オプションもある筈だ。でも、そんなことは話し合われた形跡もない。

また仮に保健体育は金曜日なり土曜日なりに集中してやったとしても、1日7時間もある他の曜日の授業に体を動かすような刺激がないと、集中力を維持するのも結構大変なんじゃないかと思う。僕自身の記憶の中でも、体育の授業は楽しかったという思いが強いが、今みたいに主要科目での成績がものを言う学力偏重の学校教育が指向されているこの国では、そういう時間自体が無駄だとでもいうのだろうか。体を動かすことで、かえってそれ以降の授業への集中力は高まるのではないかとも思うが。

ちなみに、この件、翌5月3日付けのクエンセルの社説でも取り上げている。基本的には歓迎の論調だが、結構いいことを言っている。
我々のあらゆるレベルの政策立案者の焦点は、生徒が何を着ているかではなく、生徒が何を学んでいるのかに当てられなければならない。クラスで生徒がジャージ姿でいることが、生徒が学習していないことを意味するわけではない。校庭で生徒がゴやキラを着ていることが、生徒がスポーツをやっていないことを意味するものではないのと同じように。
この論説では「保健体育=スポーツ」という思い込みがあるようだ。これも厳密に言うと違うと思うが、この国では保健体育といったら校庭で生徒にスポーツやらせておけばいいという間違った認識がまかり通っている。この点に光が当たるには、もう少し時間が必要かもしれない。

ただ、この論説の前半部分はまさに正論である。ジャージ姿だと勉強にならないというのは違う。勉強する内容と服装は別問題なのに、それを服装の問題に矮小化しようとしているのが、一連のジャージ通学論争だったように思う。
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