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理解不能の新教育政策 [ブータン]

政府、学校教員の修士号取得を義務化へ
Every teacher must have a master’s degree: Govt.
BBS、2017年6月19日、Passang記者
http://www.bbs.bt/news/?p=74485

2017-6-19 BBS.jpg

【抄訳】
政府は教育省傘下の学校教員は全て修士号を取得せねばならないとの方針を決めた模様。教員の資格要件の引上げはブータンの教育の質をより高いところに引き上げることを目的にしていると首相は述べた。

現在、ブータンの学校教員8,869人のうち、修士号を取得しているのはわずか1,130人である。首相によれば、政府は現在の教員の資格を修士以上にするための計画と政策を用意していくことになるとの由。「例えば、この7月から、ヨンフラ教育大学(Yongphula Centenary Institute of Education)に30人の現職教員が修士課程に入学予定である」――首相はこう述べた。

さらに、首相は政府がパロとサムツェの教育大学とも協議し、現職教員の資格要件の引上げに向けた協働を働きかけていくと述べた。今年、政府は教員研修に向けて1億800万ニュルタムの予算を配分している。

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他人の国の政策の是非につべこべ言いたくはないものの、19日に国会でトブゲイ首相が行った「State of the Nation」演説で突然飛び出した「学校教員の全員修士化」ほど、聞いて戸惑いを覚えた政策はない。

「教育の質」の向上はブータンが次の五カ年計画でも掲げる重要政策課題の1つであることは知っている。でも、まさかその質の保証を教員の修士課程修了を以って行おうとするとは…。修士取らせりゃ学校の教育の質が上がるという発想は、僕にはとても理解できない。

この国の教育関係者に訊くと、この現象は「資格要件の高騰」だという。資格要件のエスカレートは本来なら競争と各自の自己研鑽を通じて起きるものだが、ブータンでは政策がそれを推進している。この動きのきっかけになったのは、2001年に王立人事院が定めた役職分類制度だったという。この分類で公務員に求められる質的水準が高くて、公務員は必然的にその要求水準を満たす機会を求めるようになった。これは学校教員に限らずこの国の公務員ならどこの政府機関であっても常に見られることだ。奨学金を得て海外留学の機会でも得られれば、公務員は今の仕事を即座に投げ出し、とっとと留学に舵を切る。地道にOJTで人材育成をやろうという技術協力プロジェクトなどは、目をかけていた人材がこうして簡単に流失し、二度手間、三度手間を被るのである。

海外留学機会だけではない。今ブータンでは国内の各カレッジに修士課程を創設する動きが急ピッチで起きている。そもそもカレッジの数自体も増やそうという動きもある。これらも、元をたどれば公務員の役職分類制度に応じたキャリアパスを提供しなければならないという国の政策に準じたものだろう。

でも、単純に修士課程を修了すれば質は担保されるのか?この政策の問題点はそこにある。カレッジであろうと職業訓練校であろうと、そこで今行われている教育を見れば、修士が質を担保するという考えはかなり思慮が足りないと思う。以前、別の機会に、僕はこの国の学校の理科教育を良くしていくなら、カレッジの理科教育も見ていかないといけないとブログで述べたことがある。それと同じ議論である。そもそもカレッジの教員って、一時期カレッジを増やさなければならなくて、大量に教員確保しする必要性に駆られて、学部を卒業したばかりの学生から成績優秀な者を選んですぐに教員にするような応急措置が取られている。それで実社会での実務経験が全くない学生がそのままカレッジ教員になっている。そもそも成績優秀だったのだからアカデミックな研究の方法論は承知している教員は勿論いるが、こうして純粋培養で持ち上がった若い教員は、現場との接点をほとんど持たない。いくら頭が良くても、現場のリアリティを踏まえた教育や研究がまったくできないという問題を抱えているのである。

今、ここで修士課程を慌てて増やしても、誰が教員やれるのか?多分既に学部で教えている教員が掛け持ちするのだろうが、今でも学校教育で質が問題視されているのに、同じ指導者が修士で教えていて、質の向上が図れるというのだろうか。

しかも、この政策、修士課程履修に政府はおそらく学費を支援するだろう。履修者は入学試験のようなスクリーニングのプロセスは経ず、現職教員は100%入学できるとしたら、競争メカニズムなど働かないし、学費もタダだとしたらしっかり勉学に集中するというインセンティブもない。今学部で起こっていることを、修士課程でも繰り返すだけに終わってしまいはしないだろうか。

青天の霹靂のようにも思えるこの政策には、もう1つ重大な問題点がある。

この政策は、ブータンの国内事情だけで導入検討されたもので、他の国の教員養成制度との比較検討はされた形跡がない。つまり、他の国で教員になった者がこの国の教育関係者と接した時、そこに軋轢が生じる可能性が非常に高いのである。

日本の学校教員のキャリアパスとブータンの教員養成制度の考え方が相当に違うことは、ここまでの記述でも十分お感じいただけただろう。日本で学校の先生をやりたければ、学部生時代に教職課程を取り、学部卒業時に教員採用試験を受け、そして見事合格すれば教員になれるという仕組みになっている。つまり、教員になるための訓練は学部時代に受けていて、その上で教員になれるかどうかの最低限の質的担保は免許という形で確保している。そしてその後の質的向上は現場でのボトムアップの教育研究活動と各教員の自己研鑽等を通じてさらにレベルアップが図られている。

大学院修士課程で教育を専攻しようとする学生というのは、自分の学校での教育活動の質を良くするためではなく、何かのテーマで研究を進めるために大学院に来る。学校の教育現場で従事されている教員の中に修士号を持っておられる方はおそらく非常に少ないだろう。

ということは、たとえ現職参加の青年海外協力隊とかでこの国の学校で教えたいと思って応募者があったとしても、その最終学歴が学部卒であった場合、受入段階でブータン政府から難癖を付けられる可能性があるし、仮にそれがブータン人教員にだけ適用される制度で外国人ボランティアには適用されないと教育省高官が言ったとしても、現場レベルに高官が言ったことなど浸透している保証はなく、修士持ってる教員が持ってない教員を見下して、何でも下っ端教員にやらせるという姿が想像できてしまう。

現職教員のうち修士を持っていない人の数と教育大学の修士課程のキャパを考えると、この政策が全員修士という目標をクリアするまでには最低でも15年はかかる。だから、すぐに影響が出てくるということはないものの、中長期で見て、青年海外協力隊員を学校に派遣するという日本のブータンへの協力のアプローチの仕方は、見直しが迫られてくるだろう。

見方を変えれば、必要な教育人材は自前で育てるという、援助依存からの脱却と自立に向けたブータン政府の意思表示だとポジティブに受け止められないことはない。とはいえ、こうして、学位礼賛と粗悪な修士の乱造、さらにはそれがもたらす現場へのインパクトを考えたら、こんな政策を取る以前に、もっと根本的な部分でやることがあるだろうという思いが拭えない。「教育の質」は、現場に近いところでのボトムアップの教育研究活動を通じて改善されていくもので、本来そうすべき教員を大学院で囲ったからといって達成されるものではない。「教育の質」を保証するためには、まだまだ欠けている視点がある筈である。

タグ:大学 教育
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