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『土』 [読書日記]

土 (新潮文庫)

土 (新潮文庫)

  • 作者: 長塚 節
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1950/06/13
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
茨城県地方の貧農勘次一家を中心に小作農の貧しさとそれに由来する貪欲、狡猾、利己心など、また彼らをとりかこむ自然の風物、年中行事などを驚くべきリアルな筆致で克明に描いた農民文学の記念碑的名作である。漱石をして「余の娘が年頃になって、音楽会がどうだの、帝国座がどうだのと云い募る時分になったら、余は是非この『土』を読ましたいと思っている」と言わしめた。

『土』の文庫本を購入したのは今から7年も前の話であり、それから今日に至るまで、あまりにも長い積読期間を作ってしまった。読みにくいという書評が多かったし、ページ数も350頁近くもあるため、なかなか踏み切れなかったのである。それをようやく読もうという気持ちになったのは、ほぼ1日がかりで日本に帰るという旅があったからだ。所用で日本に戻ることになり、パロの空港で読みはじめ、機内で読み続け、バンコク空港での乗継便までの待ち時間でほぼ読み切った。読了はバンコク発の夜行便に乗り込んだ後だったが、おかげで機内ではぐっすり眠れた。

この舞台は明治40年代の茨城県、結城市あたりの話である。夏目漱石の寄稿でも触れられているが、読んでみてわかるのは、東京からさほど離れていないこの地域でも、明治末期の小作人の生活はかなり困窮したものであったことだ。電気などはなく、夜になると真っ暗だ。相当な極貧生活を強いられていて、特に穀物の収穫期の直前には食うものにも困るありさま。借金して食いつなぐが、お米が収穫できても自分たちが食べられるわけではなく、麦を混ぜ込んでおかゆのようにしてかき込むだけ。青野菜もほとんど口にできない生活のようである。あまりの貧しさに、近隣の畑から野菜を盗んだり薪を盗ったりも頻繁に起きている。

家屋は掘っ立て小屋だ。収入源を1つだけに頼れないから、あれもやり、これもやりで小銭を稼ぐ。羽振りが多少良いと村人のうわさにのぼり、妬みや嫉みの対象となり、足を引っ張る者も出てくる。衣類はボロボロで、年頃の娘がいてもきれいな着物は買ってやることもできない。

どうしても印象に残ってしまうのが、この勘次一家の嫁のお品が、破傷風で命を落とすまでの夫とご近所、そして医者の動き方、そして、命を落としてからしてからの一家の困窮度合いの悪化ぶりである。どうも容態が良くないとわかっても、医者に診てもらって薬を処方してもらうには金もかかる。それを躊躇する勘次の姿や、元々早くから奉公に出す予定だった娘のおつぎが、母の死のために家事と弟の面倒を見なければならなくなり、結果嫁にも行くことがままならずに二十代を迎えることになる。おつぎの年齢で言えば、16歳から20歳ぐらいまでの間がこの話の舞台となっている。どうやらこの時期の日本にはまだ夜這いの文化があったようだが、結局おつぎはそういう出会いも経験することなく、ただひたすら父親の野良仕事を手伝い、そして家事もこなす日々を送る。

「読みにくい」という書評にもある通りで、350頁もあるわりには、ほとんど盛り上がることはなく、淡々と明治の農村の小作農生活を描いている。僕らの実生活なんて、そんなに盛り上がることもなく、本来の人間の生活ってそんなものなのだろうと思うが、小作農生活が日記を綴るかの如く淡々と展開している。会話もほとんどが茨城弁で、時折理解できない言葉も含まれる。そしてその小作農生活を彩るのが、筆者独特の風景描写の妙である。

15年前に99歳で他界した僕の祖母は明治36年の生まれだから、この小説の描かれた頃には尋常小学校の低学年ぐらいだったことになる。そう考えるとこの話は110年ほど前の日本の農村の姿そのものだということになるが、それが活字になって今を生きる僕らでもそれを垣間見ることができるというのは素晴らしいことだ。夏目漱石の言葉にもある通り、既に東京は煌びやかな都市になりつつあったようだが、その一方でこれだけ貧しい地域が東京のすぐ近くにあり、しかも、その生活を活字で描ける小説家が既に存在していたというのがスゴイことだ。

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先週、ティンプーでは、「マウンテン・エコーズ」と呼ばれる文学祭が開催された。ジャイプール文学祭でも有名なインド・ラジャスタン州政府も協賛して、今年4回目を迎えるこの文学祭の今年の目玉は、11歳のブータンの小学生が出したという本だった。でも、この子テレビのインタビューとかを見ていてもすごく頭の良い子で、すごいスピードの英語を流暢に話していた。そういう若い子が小説を書くというのも素晴らしいことだが、もしこういう場に地方に住むブータン人が、農村生活を淡々とゾンカ語で描いた小説でも出してきたら、それはそれでものすごいことだと思う。そういうところを描いた小説でも生まれてこないと、本当の農村生活のリアリティを、ここの政府の職員ですら容易にはイメージできない状況になろうとしつつある。

でも、そんなことは正直言ってかなり難しいと思う。その難しいことを、今から110年以上前の日本でやってしまった長塚節という作家は、それだけすごい人だということになる。

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