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『生物多様性の危機』(2) [ヴァンダナ・シヴァ]

生物多様性の危機―精神のモノカルチャー

生物多様性の危機―精神のモノカルチャー

  • 作者: ヴァンダナ シヴァ
  • 出版社/メーカー: 三一書房
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: 単行本

本書の紹介第二弾は、10月に名古屋で開催されるCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)に絡めて述べてみたい。この会議に向けて、このところ課題を指摘する新聞記事や論説が増えている。会議で採択が期待される成果としては、①我々の暮らしを支える生物多様性の損失を防ぐための新たな国際目標、②薬品開発などで「遺伝資源」から得た利益を原産国にも公平に配分するルールを「名古屋議定書」として決めることなどだという。しかし、世界中で生物遺伝資源の争奪戦が起きている現状、合意への道のりは険しいと多くの記事は指摘している。途上国側は、1993年の生物多様性条約の第15条「各国は、自国の天然資源に対して主権的権利を有する」を拠りどころとして、先進国が微生物などの遺伝資源を利用して製造した薬品などから得た利益を途上国に還元するよう求めている。「研究と言って持ち出し、商業利用して利益を上げてきたではないか」と。

こうした厳しい交渉が予想される中で、「国内で語られる名古屋会議は「自然保護の会議」との認識が目立ち、イベントムードさえ漂う」(9月14日、毎日新聞足立旬子記者)との指摘もある。小沢鋭仁環境相は「日本人が自然と共生してきた知恵を生かす」として「SATOYAMA(里山)イニシアチブ」を提案するそうだ。そういう情緒的なことを提唱するのはまあいいとしても、厳しい世界の現実を鑑みると、議長国日本が求められる責任は相当重い。途上国の多様な植物生物遺伝資源から得られる利益を、先進国の商業資本が持ち出して利益を上げていることに鑑み、この利益をどう途上国に還元するかという「利益の分け前」の議論になっている。しかし、本当に大事なのは、遺伝資源の商業利用のようなグローバル化の最たる趨勢に対し、地域の表情の豊かさをいかに保全していくかである。「里山」は結構だが、里山とグローバル化やコミュニティの崩壊とがイマイチ繋がっていない気がする。

そうした目で見た時、1993年生物多様性条約をヴァンダナ・シヴァがどのように評価していたのかは興味がある。本書の第5章「生物多様性条約―第三世界の視点からの評価」はまさにその点について述べられている。シヴァはその中で、同条約の問題点を幾つか指摘している―――。

【指摘1】
先ず、そもそも途上国の市民の視点から見た時に、条約は特許と知的所有権に関してあまりにも協力で、先住民やローカルなコミュニティの知的および生態学的な権利に関してはあまりに弱体だと指摘している。シヴァが問題視しているのはまさに同条約にある「各国が自国の資源とその環境政策に基づいて開発する主権的権利」の部分だ。
 この原則に欠けているのは、ローカルな共同体(コミュニティ)の主権である。ローカルな共同体は、生物多様性を保全し、維持してきたのであり、またその文化的な存続が生物多様性の存続および生物多様性の保全と利用に密接に結びついているのである。「生物多様性の保護のための条約」が「生物多様性の開発のための条約」へと歪められるのは皮肉なことである。(p.168)

【指摘2】第16条第1項「バイオテクノロジーが生物多様性の保全と持続可能な利用のためには不可欠」
生物多様性が「生産の手段」から単なる原材料へと価値が引き下げられるだけでなく、遺伝的に均一なバイオテクノロジー製品によって駆逐されてしまうのである。新しいバイオテクノロジーは本質的に「画一性の生産のための技術」であるということを覚えておくことが不可欠である。(pp.168-169)

【指摘3】条約が、生物資源の領域における特許をようにんしていること

【指摘4】世界の作物遺伝子銀行の除外
現在遺伝子銀行に存在する遺伝資源に対する所有権とそれに関連した諸権利の問題に触れないことによって、生物多様性条約は発展途上国に深刻な経済的損失をもたらすことになるかもしれない。先進工業国(そこにほとんどの遺伝子銀行が存在する)が、これらの遺伝材料の特許取得に殺到することも予想されうるからである。(中略)
 これら(註:先進国の資金拠出によって設立された国際農業研究機関)の遺伝材料の所有権は、国際的には明確に定義されていない。というのは、それらの多くは国際的な公的融資によって収集されたものであり、それら原産国は主として発展途上国であるが、遺伝子銀行の所在地は北だからである。
 このような所有権と諸権利の曖昧さは、北の政府と国際研究センターをして、遺伝材料の特許を取ることを躊躇せしめている。しかしながら、もし生物多様性が施行されれば、こうした状況は変わるかもしれない。
 その理由は、条約が将来収拾される遺伝資源へのアクセスのみを対象としており、現在遺伝子銀行や植物園に保存されている何十万もの遺伝資源を対象から除外しているからである。したがって、これらの遺伝子銀行や植物園が遺伝資源の原産国に支払いをし、あるいは遺伝材料の利用と技術の便益を原産国と公平に共有することを求める国際的な拘束性のある義務は存在しない。(pp.169-171)
遺伝子銀行等に保有されている遺伝資源について特許が取得された場合の影響とはどのようなものか。
特許が取得された場合の帰結は、発展途上国が、遺伝子銀行に保有されている種子と遺伝材料や、改変された遺伝材料に対して高額の支払いをしなければならないことになるであろう。同時に彼らは、農業生産における種子その他のますます発展する利用の源泉である自国の農民や森林の住民に、その知識の利用に対する補償をすることができなくなるであろう。生物多様性条約は、インフォーマルな技術革新の担い手(農民を含む)が補償を受ける権利を認知していないのである。(p.172)

【指摘5】用語の定義
「遺伝資源の原産国」「自然状態における状況」「生態系」といった用語が、北の利益に合致する都合の良い解釈ができるような形で定義されている。もしそのまま施行されるなら、遺伝子銀行に存在する遺伝材料の特許取得が全面的に解禁され、遺伝子銀行と植物園(北に位置する)の管理者に、その資源が天然に進化してきた原産国(南)の諸権利と同様な諸権利を付与することが可能になる。そうした事態が起これば、条約は結局途上国の経済的利益に反することになる(pp.172-173)。

【指摘6】当座の財政的メカニズムとして世界銀行の地球環境ファシリティ(GEF)を容認していること

以上の指摘から、生物多様性条約は、「特許、遺伝資源へのアクセス、技術と財政的メカニズムへのアクセスといった諸点において、われわれ〔第三世界〕は系統的に地歩を奪われてきた」(p.173)とシヴァは結論付けた。

結局のところ、途上国も一枚岩ではなく、国際交渉の代表が必ずしもこれで影響を受ける住民の意向を代表して交渉に臨んでいるわけではないということなのだろう。シヴァが本稿を発表した後に実際の条約締結は行なわれているが、以後今日に至るまで、この条約の解釈の仕方について、何かしら大きな変化はあったのかどうか、これは少し気合いを入れて調べてみないとわからない。シヴァの立場は、第三世界の政府ではなく、ローカルコミュニティの視点ということでは一貫している。
 批評家たちは、生物多様性条約を「合法化された盗み」と呼んできた。われわれにとって危うくなっているものは、われわれの生命維持と文明の土台そのものなのである。第三世界の政府は、われわれの多様な共同体と彼らがともに生きる多様な生物種の生存が犠牲に供されることのないように、条約の修正と適正な解釈を実現させる必要がある。第三世界のわれわれにとっては、植物の保護は、歴史を通じてそれらの保護者であった民家の保護を基盤として行われなければならないのである。生物多様性条約が保全する必要があるのは、生きている生物多様性と生きている共同体の間のパートナーシップなのである。(pp.175-176)

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