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『食糧テロリズム』(2) [ヴァンダナ・シヴァ]


さて、今回もヴァンダナ・シヴァ著『食糧テロリズム(Stolen Harvest)』を取り上げる。読んでいて印象に残っている記述を引用して記録しておきたいと思う。

1.ナブダニア運動について
 (自分の人生の次の10年を、抵抗と創造的なオルタナティブの実践の双方によって、生命と生物資源が独占されることを防ぐ方法を見出すことに捧げようと決意した)私がとった最初の一歩はナブダニア、すなわち「種子を守る運動」を始めることだった。これは生物多様性を守り、種子を保存し、独占支配のない農業を維持するための運動である。ナブダニア・ファミリーは16の地域種子銀行をインドの6つの州で始めた。今日ではナブダニアには何千もの会員がいて、彼らは生物多様性を保全し、無農薬農業を実践し、自然と祖先からの贈り物として受け取った種子と生物多様性を守り、共有することを誓ったのである。種子の保存にナブダニアが関わることは、種子を保存する行為を犯罪と見なす特許法に従わないことを意味している。(p.14)
この記述の脚注には「地域種子銀行(シードバンク)」についてこんな説明がある――「ナブダニアは1980年代から、インド各州の農民をパートナーにして、様々な品種の種子を収集して保存し、インドの13州に34ヵ所の種子銀行を設立してきた。保存された品種はコメだけでも2000種に及ぶ。生態環境の異なる場所にある地域種子銀行のネットワークを通じて農民に種子を提供することで、農民の生物多様性に新たな活力を与え、地域固有の種子品種に頼る農民の自主独立と権利の確立を促進する。7万人以上の農民がナブダニア運動のメンバーであり、彼らは近隣の農民に運動を広めている」(p.15)

以前、コメの種子銀行の1つ、ジャルカンド州の「ジーン・キャンペーン」についてはこのブログでもご紹介したことがある。種子銀行の仕組みについてはその記事に若干の記述があるのでそれをご参照いただきたい。
http://sanchai-documents.blog.so-net.ne.jp/2010-08-01

また、ナブダニアのHPについては以下の通り。
http://www.navdanya.org/

2.企業による食糧支配の実態
 米国のライステック社のような企業はバスマティ米に関する特許権を主張している。東アジアで品種改良された大豆はカルジーン社が特許権を取得し、現在ではモンサント社がその会社を所有している。カルジーン社はまた、インド起源の作物であるマスタードの特許も所有している。農業に携わってきた人々が何世紀にもわたって積み上げてきた知恵が、様々な種子や作物に関する知的所有権を主張する企業によって乗っ取られつつあるのである。(pp.23-24)
パッと見ただけではとってもきれいだとしか思えない満開のマスタード畑の風景も、その種がどのような性質のものか、どのように調達されたのか、誰が生産したのかを調べていくと、きれいごとではすまない実態が明らかになってくるのではないかと思う。普段何気なく見ている光景だが、本当のところはもっとちゃんと調べていかないとわからないのだと痛感させられる。

 伝統的な多品種栽培(ポリカルチュア)と工業化された単一種大面積栽培(モノカルチュア)とを比較した研究から、多品種栽培が5単位のインプットで100単位の食糧を生産できるのに対して、工業的システムでは同じ100単位を生産するのに300単位のインプットを必要とすることが明らかになっている。この295単位の無駄に使われたインプットで、更に5900単位の食糧を提供できたはずだ。したがって、工業的システムは5900単位の食糧生産の低下を招いていることになる。これは人を飢えさせるための処方箋であって、飢えを満たすためのものではない。
 資源の無駄使いは飢えを作り出す。新しいバイオテクノロジーは、集中的な外部からのインプットによって維持される一元的な単一種大面積栽培によって資源を無駄にすることで、食糧不安と飢餓を生み出しているのだ。(pp.30-31)
前回僕は、先進国の消費者である僕たちが、途上国の食糧不安に加担している、僕たちがその生活習慣を変えないと、途上国の食糧不安はさらに悪化する恐れがあるという趣旨のことを述べた。

最近、ラジオを聴いていて、「〇〇から〇〇を抽出して作られた健康食品」というのが通販で売られているというのを耳にした時、そのエキスが抽出されてしまった後の食材はどのように利用されているのだろうかとふと気になった。たった何mgかのエキスを抽出するのに食材1個分をまるまる犠牲にしているようであれば、何のために生育したのかよくわからないということにもなる。(勿論、野菜などなら日本は途上国から輸入しているわけではないので、ちょっと的外れな話かもしれないけれど…)

 1998年3月に米国農務省とデルタ・アンド・パインランド社は、「植物遺伝子発現の制御」という人畜無害の名称を持つ新しい農業バイオテクノロジーの、共同開発ならびに特許取得を発表した。この新しい特許によって、その所有者とそれの使用許可を受けた者は、植物のDNAを自分の胚を殺すように選択的にプログラム化することで不稔の種子を作り出すことができる。この特許はあらゆる種類の植物ならびに種子に適用され、これまで少なくとも78ヵ国に申請されてきた。政府機関である米国農務省は、これらの種子の売り上げ利益から5%を受け取っており、これを内蔵された「遺伝子警察」と見なしている。
 その結果どうなるか。農民はこれらの植物の種子を次の作付けのために収穫時に取っておいたとしても、次世代の植物は芽を出さない。豆の莢、トマト、ピーマン、麦の穂、トウモロコシの実は実質的に種子の死体安置所になる。したがって、このシステムでは農民は毎年、種子会社から新しい種子を買わなければならなくなる。国際農村発展基金(註:IFADのこと?)をはじめとする様々なグループは、この手法を「ターミネーター技術」と名づけ、それは農民の自立と、第三世界の10億人以上の貧しい農民の食糧安全保障とを脅かすものだと主張している。(pp.120-121)
種子を購入して播種した農家が収穫した作物の種子を保存して翌年の作付に充てるのは当たり前の行動パターンなのに何故農家は毎年借金をして種子を買わねばならないのかと疑問に思っていたところもあったのだが、要するに遺伝子操作がされていて、勝手に育種ができないようになっていたのだということがわかった。特許の観点からはまっとうなシステムかもしれないが、これでは農家は困るだろう。

3.綿花栽培について
綿花栽培に対する著者の見解は好意的ではない。むしろ、綿花のような輸出向けの換金作物が増加するにつれて、主要食物の生産が減少し、主要食物の価格が高騰して、貧困者はより消費量を低下させる。北側先進国の豊かな消費者の贅沢な暮らしに希少な土地と水が振り向けられる一方で、腹を空かせた人々は飢えに瀕している。こうした換金作物は綿花ばかりではない。花卉、果物、エビ、肉なども輸出作物として途上国では生産奨励されているのが現状である。

しかし、綿花栽培農家にもこんな問題が起きている。
 新しい交雑種子は病虫害に弱く、より多量の殺虫剤を必要とする。極貧にあえぐ農民は種子と農薬の両方を同じ会社からつけで買わされている。深刻な害虫災害や広範に及ぶ発芽不良によって作物が不作に陥ったときには、多くの農民が、そもそも彼らに借金を作らせた当の殺虫剤をあおって自殺したのである。ワランガル地方(註:マディアプラデシュ州)では1997年、400人近くの綿花栽培農民が不作のために自殺し、翌1998年にもさらに十数人が自殺した。(pp.25-26)
PeepliLive.jpg最近、インドではアーミル・カーンがプロデューサーを務めた映画『Peepli [Live]』が話題になっているらしい。綿花栽培農家の話かどうかまでは確認できないが、かさむ借金を苦に自殺をすると宣言した農民に対し、実際に自殺をいつ実行するのかを見守るためにテレビ局の中継車が大挙して村に押し寄せるという話なのだそうだ。農村の実態をよく描いている作品だと聞いており、最近、閣僚から薦められたマンモハン・シン首相が首相官邸にアーミル・カーンを招き、家族とともに映画鑑賞を行なったというようなことも報じられている。ただ、大事なのは自殺という現象そのものではなく、何故農民の自殺が後を絶たないのかという根本の部分である。因みに、この映画は必ずしもスッキリしたエンディングではないらしい。借金がチャラになって新しい人生を歩めるというという点ではハッピーエンディングかもしれないが、全く新しい土地に住民登録もない人間として出向くことで迎える新たな生活は、必ずしも楽なものではないだろう。

『Peepli [Live]』については、JICAのインド事務所のHPに詳しい映画紹介記事が載っていたので、そちらをご参照下さい。ますます見てみたくなった映画だ。http://www.jicaindiaoffice.org/News/newsletter201009.pdf

さて、綿花栽培についても、それが食の安全とは直接的に関係がないために、効率性を考えると遺伝子組み換え種子が利用される可能性は高い。その社会経済的コストについて、次のような言及もある。
 遺伝的な修正を加えられた作物を耕作するのは通常の作物の場合よりも高くつくが、それは種子の値段が高く、技術料がかかる上に、農薬の使用量が増大するからである。有機農業では、種子を保存しておいて次の年にはそれを使えばいいのだし、育つのに必要なインプットはすべて畑から提供される。遺伝子組み換え種子を栽培すると、全てのインプットに金を払わなければならず、農家は深刻な財政問題に突き当らざるをえない。ボールガード綿花を育てるには、通常品種を育てるときの9倍近いコストがインド農民にかかると推定されている。インドの1997年から98年期間の865万ヘクタールの綿花栽培農地が遺伝子組み換え綿花に転換されたとすると、そのこすとは大体2247億ルピーにのぼる。
 このようなコストの増大は農家を破産させ、自殺にさえ追い込みかねない。1998年のアンドラプラデシュ州の害虫災害に起因する交雑品種綿花の不作と、1ヘクタールあたり3万ルピー近くを殺虫剤に使ったことから生じた負債がもとでそれに続いて生じた農民の自殺とは、私たちの農業システムがいかに脆弱化してきたのかを物語っている。(pp.149-150)


4.市民・農民の方策
印象に残っているところから拾っていくと、先ずはミミズ堆肥を用いた有機農法への高い評価は特筆すべきだろう。
 農家で作られた厩肥を施された土壌には、厩肥を与えられない土壌よりも、2から2.5倍のミミズがいる。これらのミミズは土壌構造、換気、排水を維持することで、また有機物質を粉砕して土壌に取り入れることで、土壌の肥沃化に貢献している。(中略)
 土壌の中で人の目に触れることなく働く小さなミミズは、実際には、トラクターと肥料工場とダムを合体させたものだ。ミミズが作用した土壌は、そうでないものよりも水分が安定し、ミミズが棲む土壌は有機炭素や窒素をずっと多く含んでいる。ミミズは土壌中を絶え間なく動き回ることで土壌に通気し、土壌中の空気量を最大30%まで増加させる。ミミズがいる土壌はいない土壌よりも4から10倍早く排水し、水分保持能力は20%も高い。ミミズの糞は1ヘクタールあたり毎年最大90トンになることがあり、炭素、窒素、カルシウム、マグネシウム、カリウム、ナトリウム、リンを含み、土壌の肥沃さのために欠くことのできない微生物の活動を促進させている。
 工業的農業技術は、このような多様な生物種から食糧資源を奪い、そのかわりに化学薬品で攻撃して、土壌中の豊かな生物多様性を破壊し、それと共に土壌の肥沃さを回復する基盤を破壊してしまうのである。(pp.91-92)
僕はインド駐在員時代に農村開発事業を行なっているNGOの事業地を幾つか訪問させていただいたことがあるが、どこもほぼ例外なく導入されていたのがミミズ堆肥作りだった。農家の方々が自家製のコンポストから土をすくい上げ、「ほらこんなに大きなミミズがいるよ」と得意気に見せて下さったのがとても印象的だった。いずれも、土壌の保水力を高めて地域の限られた水を有効に活用するための工夫の1つだった。

次の述べるのは冒頭でも言及した多品種栽培(ポリカルチュア)についてである。
 バイオテクノロジーが除草剤耐性作物や毒素を生産する作物に偏っているという批判が高まるにつれ、バイオテクノロジー産業はそれに代わって窒素固定をする品種、塩分に耐性をもつ品種、高栄養品種を作り出すと言い始めた。ところがこのような性質はどれも、農民たちが作り出した品種や農家の畑に既に存在するものである。穀類と一緒に植えられたマメ科植物や食用豆類は窒素を固定する。沿岸生態系では農民たちが塩分耐性をもつ作物の品種を進化させてきた。私たちは栄養豊富な作物を手に入れるために遺伝子工学を必要としない。アマランサス(穀物の一種)は小麦の9倍、米の40倍のカルシウムを含んでいる。鉄分含有量は米の4倍も高く、タンパク質含有量は2倍もある。シコクビエ(ラギー)には米の35倍のカルシウム、2倍の鉄分、5倍のミネラル類が含まれている。ヒエは米の9倍のミネラル類を含んでいる。ヒエ類や豆類のように栄養豊富で資源を浪費しない食物は、食糧安全保障の最善の道である。
 遺伝子工学が解決策を提示している多くの問題に対する答えは、既に生物多様性が提供している。単一種大面積栽培(モノカルチュア)の精神から生物多様性へ、工学的パラダイムから生態学的パラダイムへ転換すること、それが生物多様性を保存し、食糧と栄養に対する私たちの必要を満たし、遺伝子汚染のリスクを回避させるのである。(pp.168-169)

最後に、食のグローバル化、グローバル企業の猛威に対するローカルからの対抗措置に関する以下の言及――。
 食糧民主主義を目指す地球規模の運動は広範な同盟を構築しつつある。それは公共の利益を追求する科学者たちと一般市民の、生産者と消費者の、北側と南側の同盟である。多様なグループの連帯と協働が必要だ。というのも、遺伝子工学を推進する企業側の圧力が様々なレベルで民主主義と対立してくるからである。(中略)
 科学者たちと市民運動とのこのような連帯がなければ、この論争をあたかも「事情に明るい科学者」と「事情に暗い市民」の間の、あるいは「理性と感情」の間の論争であるかのように二極化しようとした、企業側の試みは成功していただろう。抗議は脇に追いやられ、遺伝子組み換え生物の商業化は疑問に付されることも中断されることもなく続いていただろう。
 生産者と消費者の連帯もまた必要である。南側に属すほとんどの人が農民であり、世界の農民のたった2%が辛うじて北側に残っているだけなので、食糧民主主義を目指す運動は北側では消費者運動の形をとり、南側では農民運動と消費者運動の両方の形をとることになろう。(pp.178-180)


生物多様性保全の取組みには、こうした政府間での協議の進捗に加え、地域の視点をどれだけ反映させられるかがカギとなると思う。誰のための生物多様性なのかを今一度確認し、政府代表は協議に臨んで欲しいものである。
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