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『大川周明の大アジア主義』 [読書日記]

大川周明の大アジア主義

大川周明の大アジア主義

  • 作者: 関岡 英之
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/12/21
  • メディア: 単行本
内容説明
米国・欧州が最も怖れた「知の巨人」の実像大川周明50回忌特別企画。『拒否できない日本』以来日本の「親米化」に警鐘を鳴らし続けてきた著者待望の書き下ろし。歴史検証と「アジアの解放へ」思想の核心。
昔、大学院で開発学を勉強していた頃、ある先生の講義で、先生は「大川周明」という名前を黒板に書き、「この人のことを知ってるか」と受講していた学生である僕達に尋ねた。答えられる人はいなかった。僕自身もそうだった。この時先生が挙げた名前は「大川周明」だけではなかった筈だが、「大川周明」という名前は強烈に僕の記憶に残っている。そして、日本の途上国研究の源流は戦前の満鉄調査部にあるというのもその講義で学んだことである。

この時の学生は皆途上国開発に何らかの形で関わったことがある社会人だった。僕自身の無知を棚に上げて言うのはおかしいかもしれないが、途上国開発に少しでも実務で関わったことがあるような人が、日本の途上国研究の源流についてあまり知らないということは僕には驚きだった。その講義から既に7年の歳月が流れているが、その間に僕が出会った人々も、押しなべて今目の前にある途上国開発の仕事には熱心だが、昔の人々の業績に対してそれほどの敬意や興味を払っているということはなかったように思う。(いや、自分はちゃんと勉強して知っているという人がいたらゴメンナサイ。そういう話を普段の会話のなかでしてこなかった僕自身のコミュニケーション能力の至らなさです。)

さらにそれを痛切に感じたのは、青年海外協力隊の最近の扱われ方である。この事業を実施しているJICAは、これを技術協力の一環と見なしている。確かにそれは技術協力の一環であることは間違いないと思うのだが、僕から見ると、これは日本の人材育成事業の一環ではないかという気がする。特に、戦前戦中に大川周明が主宰した「大川塾」――1938年に設立された東亜経済調査局付属研究所について本書で読むにつけ、青年海外協力隊と「大川塾」の共通性が感じられ、やはり人材育成事業なのだという思いを強くした。それはアジア経済研究所の「開発スクール(IDEAS)」がやってることじゃないかという反論があろうことは甘受するけれど。
 「大川塾」は、東南アジア、インド、イスラム圏を中心とした南方派遣要員を養成することを目的とした全寮制の教育機関である。
 修業年限は二年制で、学費や必要経費は一切無料であるばかりか、こづかいとして毎月5円支給されるという破格の好条件だった。
 ただし、卒業後10年間は、研究所が指定する海外の官民諸機関に勤務しながら現地情勢を調査し、研究所に定期報告することが義務づけられていた。10年の駐在機関満了後、現地に定着し、調査活動の継続に応じる者には、事業用資金として研究所から1万円が提供されるとしていた。
 全国の中学から書類審査(一次選考)と面接・身体検査(二次選考)で選抜された定員20名の俊英が、年末年始以外は夏休みもない集中特訓で鍛えられた。
 寮生たちは毎朝、国旗掲揚と宮城遥拝を欠かさず、朝食前には身禊大祓、夕食前には大祓詞という祝詞を唱え、合気道や相撲などの武術も修練し、寮長や副寮長たちと寝食を共にしながら人格を陶冶された。(p.82)
どうだろう、細部では違うけれど、青年海外協力隊とも通じるところがかなりあるだろう。これを読み、さらに大川塾塾生のその後の活躍を本書で読むと、青年海外協力隊というのはやはり人材育成としても捉えるべきだと思わずにはいられない。

さて、「大川周明」から話が大きく脱線してしまったが、7年前の講義で自分の無知をさらけ出した僕としては、もう少し昔の日本を知る努力が必要ではないかと思うようになった。最近の自分の読書記録を振り返ると、『中村屋のボース』なんて戦前戦中の日本の知識人、政治家、財界人達の意識の高さを実感できる好著だと思う。この『中村屋のボース』を読んだ時、久し振りに「大川周明」という名前を見つけ、機会があれば大川周明についても少し勉強してみたいと思うようになった。そして、日印関係の歴史を遡っていけば、ビハリ・ボースや大川周明に行き着くというのも当然の帰結だったと思う。ネルー首相が1957年に来日した際、大川がインド独立を支えた日本人の1人として招待された(病床にあって大川は応じられなかったが)という事実を、本書を通じて初めて知ることができた。

そもそも本書によると、英国植民地支配下にあったインドの人々の苦悩に対する義憤と共感こそが、大川周明の原点だったとする。
 大川は東京帝国大学で宗教学を専攻し、卒業後は定職を求めず、翻訳のアルバイトで生計を立てながら、図書館でインド哲学を独学する市井の学究として出発した。
 しかし大正2年、神田の古書店でなにげなく手に取った1冊の本が、思いがけない転機をもたらす。それはイギリス人ヘンリー・コットンが著した『新インド』というインド事情に関する書であった。そのときのことを晩年、大川は『安楽の門』という回想録のなかでこう記している。

  此時初めて私は英国治下の印度の悲惨を見た。私は現実の印度に開眼して、それが私の脳裡に描かれた印度と、余りに天地懸隔せるに驚き、悲しみ、且憤った。

 深遠な哲学を生んだ理想郷として憧れていたインドがいまや惨めな植民地として、イギリス人による苛烈な抑圧と人種差別に蹂躙されている現実を知って、大川は衝撃を受けた。白人支配からアジアを解放し、「アジア人のアジア」を復興するため、生涯をかけて闘った「大アジア主義者」大川周明が誕生した瞬間である。(pp.15-16)

ただ、本日紹介する本に関して言えば、「大川周明」の本としては物足りなさが残った。もっと「大川周明」自体を深掘りして欲しかったのだが、途中で同時代に大川と交流のあったキーパーソンの紹介に何度も脱線し、何の本だかわからなくなる錯覚に陥った。まるで昔のカッパブックスやNONブックスを読んでいるような感じだ。大川自身が走り回って周りを巻き込んでいく行動派ではなく、論壇で活発に評論活動を行なった学究肌の人だったからストーリーとしてのスリル性には欠けるのかもしれない。(そうではないのかもしれない、他の本を読んでみないとわからない。)大川だけに焦点を当てたら200頁も持たないということだったのかもしれないが、それにしても、大川が神田の古本屋で「覚醒」するまでの前史については、酒田での少年時代も含めてあまり触れられていないし、いつ結婚したのかとか、家族はいたのかとか、そういう大川の人間性の部分には言及されておらず、人物としての魅力は描き切れていないという印象を持った。何よりも、ネルーやボース、後藤新平、岡倉天心などの顔写真をやたらと挿入している割に、大川自身が写っている写真が殆ど使われていない。これは、著者の取材の過程での大川家への食い込みが足りなかったのではないかと想像してしまうところである。

大川の「大アジア主義」とかイスラム研究とかについてはもう少し調べてみたいと思っているが、本日紹介した1冊は、まあ「大川周明」の入門書としては宜しいんじゃないでしょうか。
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コメント 1

yukikaze

この本の内容はどうもタイトルが間違っているように思います。精々「大川周明とその時代」というようなタイトルが似合いそうな著作です。伝記としては明らかに必要な部分がなく、読者に大川周明が迫ってこないように感じました。仰る様にもっと深く抉るような人間描写、そして、生き様を切り出してほしいと思う著作だったように思います。指摘の通り、遺族だけが知っている大川周明を聞き出せていないと感じました。
by yukikaze (2010-12-06 17:12) 

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