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養蚕の貧困削減効果 [シルク・コットン]

ある場所で何か新しいことを始めた場合、それによって明らかに恩恵を受けられる人と、そうでない人が出てくる。不利益を被るほどではなく、地域のほぼ全員が便益を受けられる技術や事業であったとしても、実際に得られる便益の多寡には、大きな差が生じることはあり得る。それは、技術の導入前、事業の開始前の時点での地域の各構成員の初期条件による。例えば、所得水準や社会階層、社会的地位、性別、年齢、教育水準、土地所有といったものである。

養蚕にもそういう側面があると思う。南インドでは元々養蚕が盛んに行なわれていたが、そこで一般的に行なわれていたのは年に数回糸を吐く多化性の蚕の飼育であった。そこに年2回しか糸を吐く時期がない二化性の蚕が導入されることで、農家の所得は大幅に増えたという。二化性蚕の導入を昔から勧めたのは日本の技術協力専門家であり、そして実際の導入プロセスでも大きな役割を果たしたのは日本人専門家だ。南インドでの二化性養蚕の普及に日本の果たした役割は非常に大きい。

ただ、ここで所得を大きく向上させたと言われる農家というのは一体どんな農家なのだろうかという疑問が湧いてくる。既存の農業技術に対して新たな技術の導入を図ろうとした場合、それを困難なく受け入れ可能な農家と、受け入れる余裕がさほどない農家とがあるだろうし、仮に大儲けした農家であっても、世帯構成員間では忙しさの度合いに差が生じる可能性もあるだろう。

この「所得を大きく向上させた」と言われる現象の中身について、もう少し細かく見ることはできないものかなという問題意識を、ここ数週間ずっと持っていた。そこで少しばかり論文検索をかけて、僕の隔靴掻痒を多少なりとも和らげてくれそうなものを探してみた。

本日メモしておくのは、そんな2つの論文である。いずれもインドの学術誌に掲載された。

 P. Kumaresan (2002), "Quality Silk Production: Some Economic Issues,"
 Economic and Political Weekly, Sept. 28, 2002,
 pp.4019-4022


 S. Gregory (2006), "Socio-Economic Mobility through Sericulture,"
 Journal of Social and Economic Development, July-December 2006, vol. 8, issue 2,
 pp.193-206


Kumaresan論文の方は、インド産シルクは質が悪く国際市場で売ることはおろか、インド国内市場で質の良い輸入生糸に押されている状況だと指摘し、インド産シルクの質をどのようにすれば上げられるのかを論じている。もう少し具体的に言うと、インドで当時一般的に行なわれていた多化性と二化性の一代雑種の繭から取れる糸は国際標準では「D」ランクに過ぎないが、マイソールにある中央蚕糸研究研修所(CSRTI)が開発した二化性ハイブリッド種であれば、熱帯性の生育条件下でも「3A」から「4A」のグレードの高品質なシルクをインドで生産することは可能だと指摘し、二化性養蚕を普及させることでインド産シルクの品質は大きく改善され得るとしている。

この場合の「輸入生糸」とは、中国産である。インドのシルク需要の殆どは民族衣装のサリーによるものであるが、質の良いサリー生地を作るにはインド産生糸ではたて糸としての質が悪く、サリーの需要が高まれば高まるほど中国産生糸の輸入が増えるという悪循環に陥る。このため、インドでは第5次5カ年計画(1974-79)には既に国産シルクの質的向上を図って輸入依存から徐々に脱却を図ることが謳われていた。当時の二化性蚕糸の生産目標は500トンだった。しかし、この目標は第8次5カ年計画(1992-97)の期間途中の1995年でも達成されていなかった。

二化性養蚕が国の計画通り普及しなかった理由は幾つか挙げられるが、農家が二化性養蚕を導入するには幾つかの前提条件があり、それを満たしている農家がそれほど多くなかったということをKumaresan論文は指摘している。二化性専用の独立した蚕室を準備できることや、品質改善がなされた桑の新品種を導入し、一本一本の桑の木の間隔が十分確保できるほどの桑畑があること、灌漑が得られること、三齢から五齢期にかけて桑の葉を枝ごと切って給餌できるだけの蚕室のスペースが確保できていること等が挙げられている。

ということは、少なくとも二化性養蚕導入の初期段階からその技術導入を行なえた農家というのは、これだけの前提条件を備えていた経営規模の大きな農家だったということがそこからは示唆される。

一方、Gregory論文は、二化性とまでは言わないが養蚕自体を始めることによって起きる社会経済的変動が何かに注目し、タミルナドゥ州での調査結果を通じてこれを考察したものである。養蚕は穀物生産などと違って年に何度か行なえるので、年間を通じた所得の平準化にも繋がり、農業経営を安定化させると期待され、多くの国や地域で導入が言われる。これに対しては産業振興といった面から安直だとの批判もあるが、元々なかったところに養蚕が入って来ると村の社会構造はどう変化するのかを考察した論文はまだまだ少なく、結構面白く読むことができた。

例えば、養蚕を始めることで、元々狭い土地は持っていたがそれだけでは十分農業収入をあげることができず賃金労働にも従事していた小規模零細農家を賃金労働依存から脱却させることはできる、そういうケースはフィールド調査でのサンプルにも相当数見られたという。一方で、土地なし農民の場合も、他の農家が養蚕を導入すると特に四齢、五齢期の給餌は労働集約性が高いために労働需要が高まり、賃金労働の機会がより得られやすくなるという。また、土地を借りて養蚕経営に乗り出す土地なし農民も観察されるという。

このように、元々貧困層と考えられているグループに対しても、養蚕はプラスの貢献をしている。土地を借りて養蚕を行なっている農家の多くは、それ以前に他の農家で養蚕労働に従事していて養蚕のノウハウを既に得ていたという。このことから、金融へのアクセスや他の養蚕インフラさえ確保できていれば、こうしたグループは社会経済状況を大きく改善できる可能性が最も高いとGregoryは指摘する。

「緑の革命」に対する批判の1つは、それに必要な資金や権力に容易にアクセスでき、そこから得られる利益を有効に利用できる者が最も儲けたというところにあるが、これに比べると、養蚕の場合は、たとえ中低所得のグループであったとしても、動機とやる気があれば所得を大幅に伸ばすことが可能だとGregoryは述べている。但し、こうした先進的養蚕農家も、経営がどんどん安定していくと現場から離れていく傾向があり、実際の作業は賃金労働者や女性の家族に任せ、自分は経営に専念するようになっていくという。しまいには、養蚕自体をやめて他のより収益機会の大きいビジネスに移っていくことも考えられる。

但し、周辺的零細農家による養蚕導入の事例は、土地持ち農家と比べると少ないという指摘はGregoryもしている。養蚕はハイリスクで多くの不安定要素を含んでいると受け止められているという。従って、土地や資金、技術的アドバイス等へのアクセスが十分ではない農民ほど、土地を借りてまで養蚕経営に乗り出すような自信には欠け、他の養蚕農家の下働きで賃金をもらうような生活を選択しやすい。

指定カーストの養蚕への参加は、低所得層の参加と同様の制約を抱えているという。指定カーストの中にも養蚕を始めた農家はいるが、土地を所有しているかどうかに関わらず、過去に他の農家で養蚕を経験したことがなかった場合はドロップアウトする可能性が高い。従って、こうしたグループをターゲットにして養蚕振興を図るならば、かなりの準備と適切なフォローアップが必要となると示唆している。

ジェンダーについては、元々養蚕は家族労働の関与率が高いため、女性の養蚕への参加は広く受け入れられてきたという。もっと言えば、養蚕では女性労働の方が男性よりも必要とされる。このため、養蚕は世帯内での女性の労働強化に繋がる可能性があるとGregoryは指摘している。南インドでは核家族化が進行しているため、そうした地域で養蚕を導入するには、ジェンダー面での特別な配慮が必要となってくる。

The impact of sericulture, with a high degree of change in living conditions, has been highly evident among progressive sericulturists, who mostly, but not always, belong to the medium land-holder category. The marginal and small land-holding categories, too, experience the impact of sericulture and have been on the path of socio-economic mobility by improving their labour status and stabilising their economic life.

The rural poor, mainly comprising landless labourers and marginal land-holders, reap the benefits of sericulture, though marginally, either directly by adopting sericulture, if equippet with the necessary resources, or indirectly by involving themselves as lessees, shareholders or labourers in sericulture. ... However, the lower proportion of marginal farmers as sericulturists, as compared to that of higher land-owning classes, is mainly found to be due to certain resource constraints, which pt most of them at the same disadvantaged position as of the landless, except for their access to land.
結論として、アグロ・インダストリーとしての養蚕は、公正を目的とした農村開発を考える上での有効な戦略となり得るが、農村社会の様々なセクションに対して異なるインパクトと含意をもたらし、特に最も脆弱なグループへの配慮が必要だという。

Gregory論文は二化性養蚕のインパクトについて述べているわけではなく、従来の多化性養蚕と二化性養蚕とで農村社会の異なるグループへのインパクトの比較については依然としてよくわからない。二化性が各戸レベルで新たな施設を必要とするとしたら、養蚕を新規導入する場合と同じ制約は二化性の場合にはもっと効いてくるかもしれない。或いは、逆に、今まで養蚕をやってなかった農家にはいきなり二化性を始められる可能性も大きいということであるかもしれない。もう少しそのあたりについて実証している先行研究がないかどうか調べてみたいと思う。
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