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世間師 [地域愛]

 日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い。村人たちはあれは世間師(せけんし)だといっている。旧藩時代の後期にはもうそういう傾向がつよく出ていたようであるが、明治に入ってはさらにはなはだしくなったのではなかろうか。(p.214)
 それにしてもこの人の一生を見ていると、たしかに時代に対する敏感なものを持っていたし、世の動きに対応して生きようとした努力も大きかった。と同時にこのような時代対応や努力はこの人ばかりでなく、村人にもまた見られた。(中略)
 明治から大正、明治の前半にいたる間、どの村にもこのような世間師が少なからずいた。それが、村をあたらしくしていくためのささやかな方向づけをしたことはみのがせない。いずれも、自ら進んでそういう役を買って出る。政府や学校が指導したものではなかった。
 しかしこうした人々の存在によって村がおくればせながらもようやく世の動きについて行けたとも言える。そういうことからすれば過去の村々におけるこうした世間師の姿はもうすこし掘りおこされてもよいように思う。(p.259)
【出典】宮本常一、『忘れられた日本人』、岩波文庫
4月21日(土)、半年ぶりに開催された(財)三鷹国際交流協会(MISHOP)の国際理解講座「日本人海外ボランティアが見た異文化」のパネルトークの司会を務めるに当って、僕は戦前戦後に日本全国を歩き回った民俗学者・宮本常一が書いた「世間師」という言葉を思い出した。講座当日朝になって急に思いたち、自宅の蔵書の中から『忘れられた日本人』を引っ張り出し、その章を読み直してみた。

今回の国際理解講座は、JICAの青年海外協力隊(JOCV)やシニア海外ボランティアとして長期間海外で活動され、帰国して三鷹に住んでおられる方々4人を招いてのパネルトークだった。1年ほど前に企画構想し、JICAがボランティアの春募集を開始する3月末から5月上旬までの募集期間中に開催しようということで、昨年末から準備してきたものだ。MISHOPの会員2人と事務局員1人で小さなプロジェクトチームを作り、関係者との折衝やパネリストとの連絡調整、大道具小道具の準備、当日の運営を行なってきた。企画内容もさることながら、国際理解講座開催のためにプロジェクトチームを作ったのも初の試みだった。

これまで、国際理解講座というと、集客力が期待できるある程度ネームバリューのある有識者を外部から招聘して、講師をお願いすることがほとんどだった。僕は2004年度の途中から国際理解講座の企画運営を手伝うようになったが、企画案を委員会内で通すのも大変だったし、企画案が通ったら通ったで、講師との折衝もやらなければならないことが多かった。そして、開催日が近付くにつれて、集客の心配もせねばならなかった。参加事前申込み人数が芳しくない時は、広報の心配までしなければいけなかった。だから、この講座企画実施を担当している委員会の中で最も下っ端だった僕はいつも、「この企画は一体誰のためにやっているのだろうか」と自問自答を強いられていた。

三鷹に住んでいる人に話してもらいたい――それがここ数年の僕の夢だった。三鷹市内にも海外に長く住んで戻って来られた「世間師」はいる筈だ。住民間の交流が密だった頃なら、ご近所の誰がどこに行っていたのか、住民は口コミでよく知っていたものだが、転入してきた住民が増えて近所付き合いが希薄な大都市近郊では、口コミに代わる何らかの仕掛けを考えないと、「世間師」を発掘してきて住民に広く知ってもらうことができない。国際交流協会がそれを担うべきだ、僕はそう思っている。その第一弾が市内在住の帰国ボランティアの発掘だった。

MISHOP2012-4-05.jpg

この日のパネリストのお一人がいみじくも仰っていた。赴任する前に市長に表敬した際、帰国後にも報告をするのかと、同席した市役所の国際交流担当部署の職員に尋ねた。「是非に」と言われたという。任期を終えて帰国し、その職員に連絡を取ったところ、人事異動で今は担当していないのでと言われ、結局市長報告は実現しなかった。「報告する気でいたんですけどね」――その方は苦笑されていた。これとは別の経緯で、MISHOPでは海外ボランティアの帰国報告会を企画したのだが、「三鷹で自分の経験をお話させてもらえてよかった」という感想をパネリストの方々から寄せていただいた。

パネルトークの進行にも、幾つかの工夫を施した。4人のパネリストの方々の海外での異文化体験とそこで生じたストレス、そしてそのストレスをどう乗り切ったのかという解消策を、「やりがい曲線」の推移という形で可視化し、それをホワイトボードに貼り出した。トークの注目をそこに集中させると、司会の僕の質問を考えやすいし、パネリストも自分の活動を振り返りやすい。またフロアの注目をホワイトボードに集中させ、パネリスト個々人の表情に注目させないことで、パネリストが話しやすくなるのではないかと考えた。このあたりの仕掛けは、パネリストにも、フロアの聴衆にも好評だった。

三鷹からは、毎年3、4人が青年海外協力隊やシニア海外ボランティアといったJICAの制度を通じて途上国に派遣されている。単純に考えたら、2~3年に1回はこうした帰国報告会が企画できそうだ。そして、今回この報告会をやってみて、できたらこの企画は続けてやっていくべきだと確信した。これまでに僕が関わってきた国際理解講座と比べて、参加者の構成が明らかに違った。新たなニーズの掘り起こしに繋がっていくのではないかと思う。そして、こういう帰国報告会を、国際交流協会主催の名の下で、三鷹に住むJICAボランティアOB/OGがプロジェクトチームを組んで企画運営していってもらえたら嬉しい。

今回のパネルトークには、三鷹選出の都議会議員とか、市議会議員の方が珍しく来られていた。これも嬉しかったのだが、市会議員の方が質疑応答で「政府に期待することは?」という質問をされて、後で聞いたらパネリストの方々が回答に困ったと仰っていたことも述べておく。そもそもこの場合の「政府」って日本政府のことなのか、三鷹市のことなのかがわからない。

僕は司会という立場だったので、その場での私見は極力述べないようにしていたが、このブログを借りて敢えて言わせてもらおう。市議会議員に日本政府への要望事項を話してもしょうがないので、三鷹市に期待することを質問されたのだろうと理解したい。その上で申し上げる。少なくともこのパネルトークは赴任前に市長表敬したボランティアが帰国後に市長をはじめとする地域での報告をやる機会がないというところに端を発しており、僕は国際交流協会のような市民がステークホルダーになっている半官半民の組織が、役所に代わってその仕掛けを作っていくべきだと考えているので、異動で職員がコロコロ代わる役所にはあまり期待するものはない。無論、そういう取組みを各市町村レベルでJICAのような大きな組織がやっていくことなど難しいだろう。

むしろ、市議会議員さんにお願いしたいのは、市民が自ら地域に埋もれている「世間師」を発掘し、評価しようとする取組みを支えて欲しい、毎回毎回集客で苦労する国際理解講座の盛り上げに一役買って欲しい、今回はテーマがテーマだから出てみたというようなアドホックな対応ではなく、これからも国際交流協会の活動に注目し、支えていって欲しい、そんなことである。

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