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『驚きの介護民俗学』 [読書日記]

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

  • 作者: 六車 由実
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2012/03/07
  • メディア: 単行本
内容紹介
語りの森へ。『神、人を喰う』でサントリー学芸賞を受賞した気鋭の民俗学者は、あるとき大学をやめ、老人ホームで働きはじめる。そこで出会った「忘れられた日本人」たちの語りに身を委ねていると、やがて目の前に新しい世界が開けてきた……。「事実を聞く」という行為がなぜ人を力づけるのか。聞き書きの圧倒的な可能性を活写し、高齢者ケアを革新する話題の書。
発刊当初から話題になっていた本で、新聞紙上で紹介されているのを二度ほど読み、いつか本書を読んでみたいと思っていた。図書館で予約を入れてみたところ、市立図書館Aでは4人待ち、市立図書館Bでは2人待ちとなっていた。それだけ本書に興味を持った人が多かったのだろう。順番待ちの短かった図書館Bから先に貸出可能との連絡を受け、さっそく借りることにした。期待にたがわぬ内容だった。

読んでみたいと思った具体的な理由は、著者が老人ホームでインタビューした相手の女性が、カイコの鑑別嬢をしていた話が載っているからである。日本の近代史を扱った文献では、養蚕農家と製糸工場の作業の様子が主に描かれているが、蚕糸業はもっと多様な工程から構成されているのに既存文献ではあまり言及されていない仕事がいくつかある。村々を渡り歩いてカイコの雌雄鑑別を行なう鑑別士の仕事もその1つである。

僕が今年1月に発刊した拙著を書いた際、1958年に養蚕技術協力専門家としてインドに渡航した唐沢博士が、日本ではカイコの幼虫段階での雌雄鑑別が可能であることを発見し、若い女性を鑑別士として養成するという功績を残された方であることについて、拙著の中で言及した。従来はマユをカッターナイフで切ってさなぎを取り出し、さなぎの形状で雌雄鑑別するのが一般的だったが、そうするとマユが無駄になってしまう。さなぎ段階ではなく幼虫段階で雌雄鑑別できれば、そのような無駄を省くことができるし、幼虫段階の鑑別は、一度慣れてしまえば簡単にできる仕事だ。なお、なぜ雌雄鑑別が必要なのかというと、異なる原種同士を掛け合わせて交雑種(ハイブリッド)の卵(蚕種)を生産するためには、同じ原種同士を掛け合わせてしまうリスクを抑制する必要があるからだ。交雑種と原種が混ざってしまったF1の蚕種からは、形質が大きくばらついたマユができる可能性が高い。

こうした雌雄鑑別の仕事をしていた人の話が紹介されている本は非常に珍しい―――。
 大正10年生まれの杉本タミさんは、片倉工業の沼津蚕種製造所に就職し、村々をまわって蚕の鑑別をする仕事を、戦中戦後合わせて18年間してきた。タミさんによれば、蚕の鑑別とは、雄と雌、日本種と中国種とを分ける仕事で、会社から各地域に派遣され、1週間ほど滞在しながら各家をまわって鑑別を行っていた。片倉工業ではこの仕事をしていたのはみな若い女性ばかりだったので、当時村の人たちからは「鑑別嬢」と呼ばれていたそうだ。
 蚕の鑑別は、蚕種を出荷してから1週間ぐらいのうちにしないとできない。だから村には総勢30人くらいで入り、2人1組になって効率的に仕事をしなければならなかった。家の外にテントを張り、その下で蚕を素手でつまんで尻を見て鑑別した。
 雄と雌の違いは、蚕の尻にある黒い斑点の数でわかった。斑点が1つの場合は雄、4つの場合は雌だった。ときには斑点が2つもしくは3つしかない雌もいた。そうした雌は質がよくないので、別に除けておいたそうだ。また日本種と中国種とは、蚕の色の違いで区別できた。日本種は白く、中国種は全体的に黒っぽかった。やはりこの場合も、どちらともつかないグレーゾーンの蚕が見つかることがある。それらも別に分けておいた。会社に入社したときに研修を受けて鑑別の方法を徹底的にたたきこまれた。それにしたがって、現場では鑑別を厳密におこなわなければならなかったそうだ。(中略)
 村の人たちは鑑別嬢をいつも歓迎してくれて、それぞれの家でご馳走をつくりもてなしてくれた。また都会からやってくる若い女性がめずらしかったのか、「鑑別嬢が来た」「片倉嬢が来た」と言って村の若い衆たちが集まってくることも多かった。お世話になっている家の五右衛門風呂を借りて、見られないように傘を被って入っていたら、気がつくと大勢の若い衆に風呂のまわりを囲まれていて出るに出られなかったこともあったと、タミさんは顔を赤らめながら話してくれた。(中略)
 日本種と中国種との一代交雑種の開発と全国への普及によって、より高品質な絹糸を生産できるようになり、日本の製糸業は近代になって大きな展開をみせたと言われている。したがって優れた蚕種を効率的につくり続けるには、雄/雌、日本種/中国種を交尾の前に明確に分ける作業が必要になる。複雑な知識と技術を習得し、各村々に派遣されて働いていた鑑別嬢は、日本の養蚕業もしくは製糸業の発展を地域において支えていた存在なのである。(pp.27-29)

高齢の介護施設利用者の語りの中から、こうした昔の職業について聞き出すには、聞き手の側にも相当な民俗学的知識が要求される。著者は元々大学で教鞭もとっていた民俗学者で、農村フィールドワークにも随分と出かけておられたようなので、こうした知見があったのだろうと思う。でも、こうした難しい職業の話だけではなく、利用者の行動の中にも、昔の生活の様子が窺えることがあるという。介護施設職員には理解できず、認知症による問題行動の1つとしてしか捉えられないものが、実はその利用者の若かりし頃の日常生活における身体行動の記憶が一時的に甦って来たのではないかと考えられる。そういうことを予め意識しておけば、高齢者の問題行動も「問題」ではなく当たり前の行動であるように見えてくる。問題解決に直結するものではないにせよ、心の準備はしやすくなるだろう。

著者が新境地を開拓した「介護民俗学」とは、元々民俗学が対象にしてきた農村でのフィールドワークではなく、介護施設に入所してくる高齢の利用者の語りの中からも、昔の社会や時代、そこに生きてきた人々の暮らしを知る手がかりが得られるという、利用者から学ぶというものだが、本書を読んでいるとこうした聞き書きが高齢者のターミナルケアにもひと役かっていることが窺える。

介護の現場での聞き書きは、心身機能が低下し常に死を身近に感じている利用者にとって、一時的ではあるが、弱っていく自分を忘れられて職員との関係が逆転する、そんな関係の場なのである(p.168)

 そこ(介護民俗学)では利用者は、聞き手に知らない世界を教えてくれる師となる。日常的な介護の場面では常に介護される側、助けられる側、という受動的で劣位な「される側」にいる利用者が、ここでは話してあげる側、教えてあげる側という能動的で優位な「してあげる側」になる。その関係は、聞き書きが終了し日常生活に戻れば解消されてしまう一時的なものではあるが、そうした介護者と被介護者との関係のダイナミズムはターミナル期を迎えた高齢者の生活をより豊かにするきっかけになるのではないか、そう思えるのである。(pp.168-169)

理想はその通りなのである。介護の現場で、こうした高齢者の語りにじっくり耳を傾けてその方の生活史を整理し、文章にまとめてくれるような人が沢山いたら、高齢者は自分の人生に誇りを抱き、その家族も年老いた親の知見を継承することができる。民俗学的アプローチによる聞き書きは、高齢者やその家族の介護に向けた準備として、ひとつの役割を果たすことができるだろう。著者自身が施設介護に関わった中で、利用者の人生の厚みを想像できるような情報があまりにも少ないと指摘している。そういう情報があれば、介護施設職員も利用者に敬意をもって関わることにも繋がる。

しかし、現実の介護の現場で、そのような余裕がある介護職員はいないし、ましてや著者のようにライフヒストリーを聞き書きできるノウハウを身に付けた介護職員がどこにでもいるわけではない。著者自身が一時ジレンマに陥ったと書いているが、そこが課題だろう。著者は、むしろ介護を受ける前の段階で、高齢者本人が自分が介護される状態になるのに向けた準備として、自分の歩んできた人生を文章にまとめておくことを勧めている。可能ならばそれは自分史のようなものでもよいが、本人が記録に残すべきだと思っていることと、他者が興味を持つところは往々にして異なるので、他者による聞き書きが依然として有用であることが窺える。

本書を1つのモデルとして、地元の中高生や大学生が聞き書きを実践できたらと思う。あるいは、自分の祖父母のライフヒストリーを孫が聞き書きするとか。両親のライフヒストリーをちゃんと聞き書きしなければいけないというのは僕が常々思っていたことだ。99歳で亡くなった祖母が未だ健在だった頃、実は里帰りの機会を捉えて昔の話を聞いておきたいと思ってはいたのに、それを実行できなかった。痛恨の極みだった。同じことを繰り返さないためにも、僕は行動に移さなければいけないと思う。

最後に、本書のタイトルについて。介護民俗学が驚きなのではなく、介護民俗学のキーワードが「驚き」なのですね。介護施設利用者の語りに「驚く」ことが、さらなる語りを引き出していくということなのだろう。

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