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週報(11/5-11/11) [備忘録]

先週から今週にかけて、週末の行事がびっしり詰まっており、ゆっくり休んだ日が少ない。今週も、週末は京都の叔母の家で泊めてもらって京都・大阪界隈をうろついていた。決して仕事をしていたわけではないが、自宅を留守にして2日まるまる外をほっつき歩いていたわけで、それはそれで大変疲れた。今週を終えて、京都の大学での集中講義はあと1回残すのみというところまできた。ゴールが少し見えてきた気がする。講義の準備で追われる1週間も、今週を終えるとあと1週ということになる。

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11月5日(月)、東京
僕らが1990年代後半ネパールに駐在していた頃、現地でネパール語を教えて下ったB先生が、ご主人とともに現在訪日中である。招聘自体には僕は全くかかわっておらず、訪日の話は間接的にしか聞いていなかったが、当時近所に住んでおられた日本人研究者Tさんからご案内いただき、B先生のご主人K氏が最近現地で出された本について意見交換する懇話会に出席させていただけることになった。うちの会社の人事制度では、ネパールで働いたことがあるからといって、別の部署に異動してもネパールに関連した仕事に直接タッチできる保証はない。僕も98年にカトマンズを離れてから、仕事上ネパールと接点があったことなど皆無に等しく、今のネパールの政治や民主主義の行方について、どこまで議論についていけるのか、自信は全くなかった。でも、議論に加わってみると、部分的には話についていくことができ、内心ホッとした。懇話会終了後、B先生からネパール語で話しかけられた、妻や子供は元気かという質問だったので、なんとか答えられたが、「次はいつネパールに来るのか」という問いには、返事に困った。そんな日が来るのだろうか。

11月6日(火)、東京
朝6時30分に家を出ると、だいたい7時40分頃職場の最寄り駅に着くから、8時少し前に職場入りできる。夜地元の道場の稽古に参加するため、早めに仕事を開始する。朝一発目から、やや不快な検討依頼メール。「またかよ」と思わずひとりごちる。当事者不在だったので、数日待って欲しいと上司に取りあえずの返事。いきなり出鼻をくじかれた感じで、なんか仕事がちぐはぐな1日だった。予定通り道場には出かけた。稽古は先週より調子が落ちた感じ。せっかく週末全日本選手権をテレビで見て、「こんな技やってみたい」と思って勇んで稽古に臨んだが、返し技は手首にかなり負担がかかることがわかった。追加で日本剣道形の稽古もやって帰宅したが、かなり右手首が痛くなっていた。

11月7日(水)、東京
週末の大学での講義の準備が捗々しくなく、この日から6時15分に家を出て、7時15分頃職場最寄り駅に到着し、コーヒーショップで1時間30分の予習をすることにした。お昼は、インド駐在時代の同僚と昼食をご一緒した。12月から南アジア某国に赴任予定とのこと。インドから帰国後、2年半で再度の海外赴任だ。同じ国での勤務は僕も希望していたので、元同僚の栄転にはちょっと複雑な心境。でも、お祝いしないと。午後はここ1週間懸案だった役員への説明を敢行。向こう数カ月の僕の仕事の段取りについて説明が求められていたもので、僕の異動絡みの話かと少し胸がときめいたが、結局そんな話はなく、本当に単にご関心の仕事の段取りの話だった。ちょっとガッカリ。説明は無事終わったが…。

11月8日(木)、東京
この日も朝早めに職場最寄り駅に到着し、1時間30分の予習。出社後、午前中に職場の全社員が出席する月例全体会議に出た。この日から月次進捗報告のフォーマットが変わり、これまで報告義務のなかった案件まで報告対象とされた。その中には、現在僕の作業量の5~6割を占める業務も含まれており、僕にとっては自分の抱えている作業量をアピールするいい機会だったので、上司からこれについても報告するように言われると、僕は待ってましたとばかり時間たっぷり使って報告した。その直後、上司から、さらに2件新たな案件も検討して欲しいとコメントがあったので、僕は公の場であるにも関わらず、「はい」と素直に答えず「それは私の現在のキャパシティを超えています」と公然と反旗を翻した。当然ながら、上司からは夕刻呼び出され、「事情聴取」を受けた。1年以上僕の部下の欠員が放置されている中で、なし崩し的にどんどん案件数が増やされてきている現状を説明した。ロジ業務も含めて1人でやるのはもう限界で、補充もされないのならもう続けていく自信がない、そう訴えた。7月に交代したばかりの上司には初耳のこともあったらしい。もう失うものは何もないという心境だった。アピールしてよかったと思う。

11月9日(金)、東京
この日も職場近くのコーヒーショップで1時間予習。それから出勤。午前中講義資料の仕上げを行ない、昼食後、午後は来客者のインタビューに同席した。約1時間の予定が、インタビュアーの聞き方が良かったのか、予定時間をかなりオーバーしてしまった。この日お話をして下さった方は、中米某途上国に2年間行ってボランティア活動をされている間、こまめに日記を付けて記録を取っておられた。今となってはそれが貴重なフィールドノートになっている。社会学者顔負けのメモだ。些細な記録でも、時間が経てば貴重な情報源となり得る。日記をつけておくことの重要性を再認識させられた1日だった。この日は18時過ぎに会社を出た。明日のお土産を調達して、21時過ぎに帰宅した。

ちなみにこの平日の5日間、僕はずっと3時起床を励行した。そこそこ緊張感があったからかもしれないが、しっかり3時には目が覚めた。

11月10日(土)、東京⇒京都
3時起床。ブログの記事を1本書いて、身支度を開始。6時30分に家を出て、京都に向かった。京都駅近くのコーヒーショップで1時間30分の最後の予習を行なった後、大学での講義に臨んだ。この日は大学祭で構内はお祭りムード一色だったが、僕の生徒さん達は真面目に出席してきており、13時から18時までの3コマぶっ通しの授業をこなした。この日は主に生徒さん側から発表してもらってその後議論し、少し補足説明を僕が行なうパターンで最初の2時限が終了し、最後のコマはゲストとしてインドで活動している日本のNGOの1つ、インド福祉村協会の知人にその活動についてご紹介いただいた。いろいろな質問が生徒さんから飛び出し、とてもインタラクティブな授業となった。

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《ゲストによる講義の1シーン。僕の講義もこんな雰囲気で行なわれています。》

授業終了後は、大宮今出川の伯母の家を訪ね、泊めてもらうことにした。せっかく近くまで毎週来ているのに、立ち寄りもしないのはよくない。親兄弟も歳をとると、だんだん遠出ができなくなるので、時々電話で近況を知らせ合う以外はお互いの交流が難しくなる。そういうところを繋ぎ合わせるのは、今は僕ら子供達の世代なのかなと思う。多少図々しくとも立ち寄って様子を見てくることが必要なのだろう。晩御飯をご馳走になって談笑していると、近所に住む従妹が駆け付けてきてくれた。小学校ぐらいまでは、よく岐阜の実家にも遊びに来てくれて、一緒に家の中を走り回っていたが、お互い四十も半ばを過ぎてしまい、時の流れの速さを痛感させられる。従姉に引き続き、そのご主人まで合流して下さり、さらに賑やかな夕べとなった。僕が伯母宅に泊めてもらうのは1994年の京都ハーフマラソン以来。その時は従妹夫妻と一緒に出場した。それ以来18年ぶりの再会。皆さん元気そうで何よりです。伯母は僕のブログの読者の1人であり、両親以上に僕の動静に詳しい。この場を借りて、泊めていただいたお礼を申し上げたいと思います。

11月11日(日)、京都⇒大阪⇒東京
朝食を伯母宅でいただいた後、8時40分に辞去し、バスで先ず金閣寺に行ってみることにした。金閣寺入口からバス停で2つしか離れていない大学で講師をやっていたのに、これまでろくな観光をしておらず、前夜伯母の家で泊めていただいて、ようやく京都観光らしきことができた。金閣寺訪問は1990年1月、米国アイオワから日本に遊びに来てくれたR夫妻を案内して、お正月に1日京都観光して以来のことだ。その時は「雪の金閣寺」だったが、22年後のこの日は「雨の金閣寺」となった。雨に濡れそぼつ紅葉を前景に、黄金のパビリオンはよく映えた。開館直後なのに、中高生の修学旅行客が多かった。京都は今が紅葉が見ものだ。

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《雨で空が曇っていても、金箔の建築物はよく映える。》

金閣寺道バス停近くの喫茶店でひと息入れ、それからバスとJR在来線、地下鉄を乗り継ぎ、大阪上本町の大阪国際交流センターに向かった。日印国交樹立60周年を記念して、13時30分からここで「ナマステ!インディア」というイベントが開催される。このイベントを企画し、そして当日はその司会進行を務めたUさんは、デリーの日本大使館で勤務されていたこともあり、デリーでは仕事上接点もあり、大変お世話にもなった。もう1人、僕の知人であるフェリシモのKさんが講演を務めたので、せっかくだから話を聞いて来ようと思った。UさんとKさんはお二人とも僕の知人だが、インド駐在時代はお二人の間に接点はなかった。それが今やイベントの主催者と協賛者という立場で一緒に仕事をされている。

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《学生サークルが企画参加したフェアトレード・ファッションショー》

このイベントの目玉は、第二部のフェアトレード・ファッションショーだった。関西の複数の大学が、3つのグループを作り、フェリシモのほか、フェアトレード製品を扱うPeople Treeやシャプラニールの扱うオーガニック衣料品、アクセサリーのコーディネートを競うものだ。僕達は、仕事柄途上国の貧困の現場の悲惨さや人々の厳しい生活を強調して、それで一般市民の支援を得ようと考えてしまう傾向が強い。これに対して、フェリシモも含めた多くのオーガニック・コットン製品販売業者は、衣料品に「かわいさ」や「ファッショナブルさ」といった付加価値をつけ、消費者の購買意欲をかき立てようと努力しておられる。一般市民にどん引きされず、「どれどれ」といって立ち止まって見てもらえる、そんな啓発のあり方も肩がこらなくていいなと思う。そういうところが、ODAやNGOの開発ワーカーがたこつぼにならず、企業とコラボすることの意義なんだろうな。

16時30分にイベントが終了すると、すぐに新大阪まで出て、新幹線で帰京した。帰宅は22時少し前になった。少しでも睡眠時間が欲しいと思い、ふとんに直行した。

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