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K君の早世 [備忘録]

先週、悲しい出来事があった。友人S君の弟K君が亡くなった。

大学3年の冬、神保町のバイト先で知り合った同学年のS君とはなぜかうまが合い、板橋の自宅にも何度か遊びに行った。おじさん、おばさんにもたいへんお世話になった。ご馳走になり、そのまま泊めてもらったことも何度かある。S君が同じバイト先で知り合った女性と1993年に結婚した時、僕は麹町で開かれた式の司会を務めた。そして、僕が1995年に結婚した時は、親族だけのごくごく小規模な披露宴だったけれど、S君夫妻とおじさん、おばさんには来ていただいた。

結婚してから海外駐在員生活を3回も経験した僕は、最近はなかなかS君や彼のご家族と会えないでいた。そのS君から31日、メールが届いた。K君の訃報を伝えるものだった。

S君の板橋の家に頻繁に遊びに出かけていた頃、1つ年下の弟K君にも何度か会ったし、彼の結婚式には僕も呼ばれている。当然お嫁さんのことも知っている。2人お子さんがいたところまでは知っていたが、今は3人いるという。うちと同じだ。

そのK君の闘病生活は、1年近くにもなるという。去年の今頃はまだ元気だった、信じられないとS君は言う。

板橋のS君の実家には妻も連れて行ったことがあり、K君夫妻にも会ったことがある。それ以前におじさん、おばさんのご心痛を思うと、お通夜は2人で行こうということになった。3日(日)夜、青山で開かれた通夜に参列した。

警察官だったS君の職場の関係者、お子さんの同級生など、大勢の方がいらっしゃる中、お焼香をあげる順番がやってきた。生前S君が着ていた制服も飾られていた。すぐに僕らだと気付いたおばさんが、ご家族の席から立ち上がって僕達のところまで来て下さった。

悲しそうな表情、気丈を装っておられたおばさんが、今にも泣き出しそうだった。おばさんの目を見ていたら、僕らも涙があふれ出しそうだった。自分たちよりも先に息子が逝ってしまう親の悲しみがどういうものなのか、見ていて痛いほどよくわかった。

残された奥さん、お子さんたち、住んでいた官舎にはどれくらい住まわせてもらえるものなのだろうか、これからどうしていくんだろうか、斎場からの帰り道、妻とそんな話をした。何か、お手伝いできることはないだろうか。四十九日が過ぎたら、久し振りにおじさん、おばさんを訪ねてみたい。

絶対無理はするな、早世するなと妻には再三言われた。働き盛りの40代で先に逝ってしまうというのが、残された家族にとっていかに厳しく、悲しいものなのか、それを考えると、妻の言葉の重みを痛感させられる。無理はしてはいけない、ストレスを感じさせられるような上司からの無茶振りに対して、自分にひたすら忍従を強いるような仕事のさばき方はしてはいけない、僕はそう改めて心に誓ったのだった。


*年が明けてから「週報」を書く余裕がまったくありませんでした。1月中に仕事の大きなヤマ場があったというのが大きいのですが、うちの役員を激怒させるような大きなミスを犯し、その後処理に追われたということもあります。早朝3時起床で2時間ほどファミレスで勉強するという「早勉」は、1月はかなり頻繁にやりましたが、職場から持ち帰った仕事をやるのに充てたという感があります。道場の寒稽古に通っていたというのもあります。従って、いつもの月と比べて、本もあまりご紹介できていません。多分、ブログでは暫く週報は書かないし、本の紹介というのも滞りがちになるような気がします。すみません。

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