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国際交流協会の仕事はもうやめ [地域愛]

GW後半は僕も世間並みに休養をいただいている。昨年は会社の勤続20年のリフレッシュ休暇制度を利用して米国に剣道の武者修行と称して出かけたが、この連休は短くても実家の両親の暮らしぶりを確認しておきたくて2泊3日の帰省をしている。連休の谷間の平日は、連休中とは思えないくらいに各方面の関係者の方々から振り回され、連日帰りが遅かった。本当は部下に「休め」と連呼した自分としてはせめて会議も何もない半日ぐらいは有給休暇にして部下たちに示しをつけたかったが、結局その間も職場に残っていてよかったという事態に陥った。

そんなこともあって、後半の連休はしっかり休むことにした。そして、この間にいろいろ懸案事項を整理し、片付けてしまいたいとも思っている。ブログもたまには更新したいし…。

標題のテーマについては、既に自分の中では結論が出ている話である。僕は昨年度まで2年間にわたって引き受けてきた国際交流協会の分科会の副部会長の仕事を今年度は引き受けないことを宣言し、また分科会にももう出席しないことも部会長と事務局の方々には既に伝えていたが、そもそも会費を納めて会員をやっていることのメリットもあまりなくなってきたので、会員であることもやめることにした。

最近、なぜか今年2月22日に行なわれた国際理解講座の案内記事へのアクセス数が多い。イベント自体は盛況だったし、僕はこのイベントの企画立案を担当して、自分が協会にこうあって欲しい、国際理解講座はこうあって欲しいという1つの理想の形を示せたと思っている。ただ、会社での人事異動で大変な職場に移ったこともあって、準備段階では多少の精神的負担を強いられた講座だった。

1月下旬、社長が外部で行なう講演会でのスピーチ原稿を下書きするために、僕は土曜日の休日出勤も含めて、連日終電近くまで職場に居残って準備をしていた週があった。その週のど真ん中の水曜日の夜、分科会の定例会議が開かれ、2月の講座の企画担当だった僕は、職場を中抜けしてわざわざ自宅最寄り駅まで戻り、18時30分から20時まで会議に出た後、再び職場の最寄り駅まで戻って残業を続けるというきつい対応をした。元々この日に定例会議を開催するというのは部会長の都合に合わせたものだった。

通常の定例会議では、司会を務める部会長は会議の1時間前には協会事務局に到着し、事務局スタッフからブリーフィングを受けてから会議に臨む。ところが、この日はなんと部会長がインフルエンザでダウン。副部会長の僕が議事進行を務めることになった。しかも、そうした事態を知らされたのは、僕が会議室に到着してからで、何の心の準備もないままに、「Sanchaiさん、司会お願いします」と言われた。

この日は会議自体の出席者も少なく、事務局スタッフを含めても6名しか来ていなかった。このところの国際理解講座開催では、出席している委員より、「諸事項の決定プロセスが透明でない」との批判を浴びてきた。毎回それで議論が紛糾し、2時間以上にわたってあーでもない、こーでもないとやり合っている。時間を有効に活用したい僕らにとっては、イライラが耐える苦行の2時間である。定例会議で何かの意思決定をするのなら、それなりの定足数を確保した上での採決にすべきだ。従って、この日の問題点は、いきなり僕自身が司会をやらされたということだけでなく、出席者がこんなに少ない会議で、意思決定をしてよいのかという点にもある。この日欠席していた多くの人から、また「密室談義」との批判を浴びそうだなと僕は思った。

いっそ定足数に満たないから会議自体を流会にしてしまうという手もあったと思うが(少なくとも僕はそれでハッピーだった)、定足数何名なら定例会議は意思決定の場として成立するのかについては協会の規程も存在しない。それどころか、最近は一部のシニア委員の毒舌を嫌って顔を出さなくなった委員も相当多く、定例会議に出てくる委員の数が漸減傾向にあったし、それに対して事務局は何らの対策も講じてこなかったのである。

昔の事務局はもっと積極的に勧誘活動をやっていたと思う。シニア委員が昔の地位に頼って能書きをたれる光景は以前から見られたものだが、僕が分科会のお仕事に関わるようになったきっかけは、国際交流協会に入会して1年近くの間幽霊会員だった僕を分科会に引き込むべく、事務局の当時の局長が出してきた1通のメールだった。本当に出ていいのかと局長に確認した上で初めて定例会議に出席してみたが、当時は知的雰囲気を漂わせた大人の委員が揃っていて、緊張感もあったし、勉強にもなった。

だが、いつの間にか、そういう努力を事務局はしなくなった。いつまでも新しい委員が入ってこないし、理知的発言をされていた良識派の委員の方々は、鬼籍に入られたり、他の分科会に活動の場を移されたりして、人の話になかなか耳を貸さない人や、議論の本質をご本人は突いていると自画自賛しているけれども実際には議論を拡散させているとしか思えないこだわりの発言を連発される人が目立つようになった。僕も分科会のお手伝いをするようになって今年で10年になるが、最初の頃から現在に至るまで、僕はずっと下っ端委員のままだ。僕よりも若い人がなかなか入ってこない。入れる努力をしてこなかったのは事務局である。

2月22日の講座は、そうした状況の中、孤軍奮闘で僕が仕切ってなんとか形にしたというものであった。

でも、僕が辞めたいと思った直接的きっかけは、僕よりも早くからこの分科会のお手伝いをされていたKさんの送別会に対する事務局のドライな対応だった。3月末から2年間の予定で海外赴任されるKさんは、国際理解講座のよい企画を持ってきて下さるし、定例会議の席上でも、一部のシニア委員の暴言に対しても穏やかにいなし、言葉を荒げることもなく、議論を一定の方向に収斂させるような大人の発言をされる方である。そういう方がいらしたから、この分科会はかろうじて維持されてきたのだと思う。その意味では、Kさんはここ数年での分科会の最大の功労者の1人だった。

そのKさんの送別会をやりたいと僕が言い出した時の事務局スタッフのドライな対応には驚かされた。以前の担当者なら、そもそも日程調整から呼びかけ、会場確保と手配してくれたと思う。たとえ自分が都合により当日出られなかったとしても、Kさんと交流があった委員が誰かということまで確認して広く声をかけ、それなりの送別会になるべくアレンジをしてくれたと思う。それが、今回は単に分科会の有志による送別会企画だと矮小化され、日程調整から声かけまで全部幹事の僕がやり、事務局からは誰も出席しなかった。歴代の事務局長もKさんの世話にはなっているだろうから声かけられないかと僕は食い下がったが、担当スタッフのお言葉は「皆繁忙期なので言うだけ無駄」というものだった。結果は、かろうじて6人集めてなんとか開催。かえってKさんに対して面目が立たない送別会になってしまった気がする。

分科会最大の功労者に対する扱いがこれかよ―――。

これだと僕がこの先いくら頑張っても、同じような扱いを受けそうだと自分の将来が見えてしまった気がした。そう思ったら、なんだかものすごくやる気が失せてしまった。もう自分としてはやるだけのことはやった、もういいかなという気がした。その他にもいろいろと不満が蓄積していたところはあるにせよ、今回直接的なきっかけとなったのは間違いなくこの長年の功労者に対する事務局の扱いにある。とりあえず目の前のものを片付けられたらいいというやり方だけでは、いずれ自分も使い捨てにされちゃうのかなと思うと、かなり悲しい。

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