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仏教徒の経済学 [持続可能な開発]

Buddhist Economics: An Enlightened Approach to the Dismal Science

Buddhist Economics: An Enlightened Approach to the Dismal Science

  • 作者: Clair Brown
  • 出版社/メーカー: Bloomsbury Pub Plc USA
  • 発売日: 2017/02/21
  • メディア: ハードカバー
内容紹介
 シューマッハーの良著『スモール・イズ・ビューティフル』から続く思想に添い、経済学者クレア・ブラウンは、平等、持続可能性、そして正しい生活を基盤にした新しい経済学を論じる。
「仏教徒の経済学は、平和、公平、環境の持続可能性を求めるすべての人々に指針を与えるものになるだろう」―――『持続可能な開発の時代』の著者ジェフリー・サックスはこう述べる。伝統的な経済学では、我々が得た所得を何にいくら費やすかを測定するが、我々の生活に意味をもたらす重要な人間のつながりに価値を置いていない。
 本書において、カリフォルニア大学バークレー校の経済学者で、かつ自身も仏教の実践者であるクレア・ブラウンは、生活の質は国民所得以上のものでなければならないという考えに基づいた包括的なモデルを開発した。ブラウンは、価値観、持続可能性、および資本の問題を克服するのではなく、経済を組織化するアプローチを提唱している。
 仏教では、相互依存性、繁栄と幸福、思いやりのある世界を重視する。仏教徒の経済学は、私たちが日々の活動に慣れていくにつれて慎重に考えるようになり、私たちの行動が私たちの周りの人々の福祉にどのように影響するかを理解する方法を提供する。 無限の欲望のサイクルをより積極的な集団活動に置き換えることによって、私たちの生活をより意味深く、幸せにすることができる。

昨年11月、当地で開催されたGNH国際会議の初日第1セッションで登壇されたUCバークレー校の労働経済学者クレア・ブラウンの著書。パネル討論の中でも本書を宣伝されていた。本を出すとこういう場に声がかかるのだということと、そういう場を利用して本をさらに宣伝することもできるのだというのを、改めて感じた。お陰で読んでみようという気になったわけで、宣伝効果は確かにある。

僕もブータン駐在生活が2年を超えたので、就労許可証所有外国人は継続して3年以上いられないというこの国の入国管理制度のしばりもあって、どう考えてもあと最大9カ月ほどしかいられない。この国を去る日がその9カ月の間のいつなのかがわからないので、それまでに何を済ませるのかは考えるのが大変だが、ブータンを去った後何をしたらいいのかはよく考える。ブータン学会とか友好協会とかに入会を勧められたりもするのだが、3年弱ブータンに住んだからといって、この国を理解するのに十分だとはとうてい思えないし、ブータンを愛しておられる日本人の方々は大勢おられて、僕の拙い知見をけちょんけちょんにされるのも悩ましい。それに会費払えるほどの経済的余裕もない。僕の場合はネパールとインドにも友人がいて、そのネットワークがブータンでの仕事を多少やりやすくしているところもあるので、もうちょっと広い枠組みで物事を捉えたいという気持ちもある。

とはいっても、僕も非常勤ながら院生に「持続可能な開発」や「SDGs」を説く立場にある。そういう視点でブータンを2年近く見てきたのは自分の売りでしょうね。

SDGsが2015年に制定された当時、「日本は仏教国だから持続可能な開発に特別な貢献ができる国だ」という期待感を、内外の複数の方が表明されていたのを耳にしたことがある。そのことを漠然と覚えていたので、「仏教と持続可能な開発」「仏教とSDGs」とか聞くと、ちょっとかじってみたくなる。まだまだ自分の勉強が足りない領域だと思うが、取りあえず1冊ぐらい今後も使える原書を読んでおこうと思い、クレア・ブラウン教授の著書を購入した。僕の担当講座は9月からスタートなので、それまでの半年間は自分なりに次の講座開講に向けた情報収集ということもある。

1週間ほどで読み切ることができた。「仏教」の部分での学びは人は他の人や自然、地球とつながっているという、相互依存性にあったかなと思う。でも、全体的には、「仏教徒の経済学」の説明よりは「持続可能な開発」の啓蒙普及を目的としているのではないかという印象だ。おかげで非常勤講師としては非常に助かる1冊だったが。各章各節とも、今の世界が直面する持続可能性を脅かす課題を挙げて、それが伝統的な市場経済メカニズムで起きていることで、仏教徒の経済学ではこう考えるというのが最後にチョロっと書かれている感じ。「仏教」の方を極めたい読者にはちょっと物足りない1冊かもしれない。

ツッコミたいポイントを3点ほど挙げてみよう―――。

第1に、ここで言っている「仏教徒」というのはどこからの引用なのかという点。ダライ・ラマやティクナット・ハンの引用はあるが、基本それだけで「仏教徒」と一般化されている。「仏教徒の経済学」を論じているわりに、仏教の経典のどこにそれがどう書かれているのかという一次史料の引用がほとんどない。著者が米国人で基本的に英語の文献しか引用しづらいという制約はあるかもしれないが、「仏教徒」として一般化して大丈夫なのかという不安は感じる内容だった。

第2に、これとも関連するが、では「仏教徒の経済学」を実践していて国際社会に範をたれることができる国は具体的にあるのかという点が明示されていない。ブータンなのか?タイなのか?日本なのか?「仏教徒ならこう考える」というのはいいが、具体的な行動が伴わないと、そしてそれが大きな流れになっていかないと、世界は良い方向には変わって行かない。僕の経験の範囲内での無謀な印象だが、仏教の実践者は確かに「つながり」というのを重視されているが、行動となると個人レベルの実践にとどまっている人が多いような気がする。自分が人としてどうあるべきかを考える指針にはなり得るが、それが集団的実践で大きな影響力を持ったケースはというと、思いつくのはダライ・ラマぐらいになってしまう。

第3に、仏教徒だったらこう考えるだろうという部分にも相当な思い込みがあって、実際には例外もあるのではないかと思える。例えば仏教国であるタイでは、南部のムスリム住民のことを考慮しているとは思われない仏教思想に基づく政策がとられている。さらに卑近な例で言えば、ブータンでよく目にする外国人専門家(ボランティア含む)に対する仕事の「まる投げ」も、「仏教徒なんだから他力本願でしょ」と言われると妙に腑に落ちる。自分の知識ではどうにもならないことは、知識豊富な人がギャップを埋めてくれるのを待つ、というのが基本姿勢である場合、持続可能な開発の実現に必要な科学技術のフロンティアの拡大で、他力本願の人が主導的役割を果たすとはとうてい思えない。

もっと厳しい反論をすると、天災も運命と受け容れるような刹那主義と、将来のことを考えて今を生きるという持続可能な開発で求められる行動倫理が、僕には容易に結び付かない。

などと批判ばかりを並べてしまったので最後に1つ良かった点も挙げておく―――。

持続可能な開発について論じられた文献の多くは、「環境の持続可能性」、もっと言えば「気候変動」や「水資源管理」に相当軸足を置いた論じられ方をされているものが多い。それはSDGsの制定過程を振り返れば当然のことだとも言える。一方で、「環境の持続可能性」を論じれている文献で、「繁栄の共有(Shared Prosperity)」にまで言及しているものはあまり多くない。ましてや「GDPに代わる進歩の計測指標の開発」という、SDG17のターゲット19にまで踏み込んでバランスよく論じられているものはもっと少ない。

本書の良い点はまさにそこにあり、中盤は環境の持続可能性の話ばかりだったのに、それ以降繁栄の共有や不平等の是正にも議論を展開し、最後はSDG17.19にあるような「GDPに代わる指標の開発」の話にも議論が及んでいる。ブータンのGNH Indexにも言及はあるものの、幸福度なども取り込んだいくつかの計測方法論を棚卸しして、比較検討している。この構成の包括性自体が、本書を評価したい点といえる。

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