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再読『貧困を救うテクノロジー』 [持続可能な開発]

貧困を救うテクノロジー

貧困を救うテクノロジー

  • 作者: イアン・スマイリー
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2015/08/19
  • メディア: 単行本

Mastering the Machine Revisited: Poverty, Aid and Technology

Mastering the Machine Revisited: Poverty, Aid and Technology

  • 作者: Ian Smillie
  • 出版社/メーカー: Practical Action Pub
  • 発売日: 2000/11/01
  • メディア: ペーパーバック

邦訳が発刊された直後の2015年12月以来の再読となる。前回も指摘していることながら、邦訳は悪い本ではないのだが、2015年9月に「持続可能な開発に向けた2030アジェンダ」と「持続可能な開発目標(SDGs)」が国連で合意され、その策定プロセスで南北間対立の1つの焦点となったのが「科学技術イノベーション(STI)」だったことから、そこへの打ち込みを勘案してかなり急いで発刊されたのではないかと思われるふしがある。拙速感を感じさせられるポイントは2つあり、1つは本書に出てくる引用の出典元を明記していないことと索引を付けていないこと(これは相当にクリティカル)、2つめは翻訳者ないしは有識者による作品解説がないことである。特に、出典明記や索引を省くような編集をなぜ本書ではあえてすることにしたのか、翻訳者なり編集担当なりからの説明があってもよかったのではないかと思える。だから原書も読めという、今回僕がやった方法にまで持って行って原書も売ろうなどと考えていたのであれば、出版社側の慧眼だったと言わざるを得ないが。

2つめのポイントについては、MITのD-Labの遠藤謙氏の巻頭緒言を載せることで解説を省いたのだと編集側では言いたいのだろう。遠藤氏の解説はこれはこれでいい。D-Labの説明・宣伝にはなっているので。原書『Mastering The Machine Revisited』をMITのテキストとして読んだ遠藤氏が何を本書から学んだのかを知る意味でも参考にはなる。しかし、作品解説にはなっているとはとうてい思えない。

二度目の読み込みで改めてわかったことは、本書は『スモール・イズ・ビューティフル』の著者シューマッハーとその支持者のグループが作った「中間技術開発グループ(ITDG)」が世界各地で支援して、1970年代から80年代にかけて推進された「適正技術開発」の取組みの成果をまとめたものなのだという点である。僕らが学生をやっていた80年代にはまだ「適正技術」という言葉は開発学の中でもよく聞かれたものだが、既に書物になっている過去の出来事としては「適正技術」はあったものの、80年代といえば開発協力の世界も徐々に新古典派経済学に支配されるようになりつつあった時期でもある。市場原理や自由貿易等が柱となる経済政策で、地道に地場で適正技術を開発するというよりもむしろ、先進国で既に実用化された技術の中で、様々な企業の戦略によって最も安い価格で提供されるものが、途上国に導入されやすくなっていった時期だと言える。よって、本書でも著者が指摘している通り、「適正技術開発」の議論は90年代に入ると全く聞かれなくなった。

2000年代以降も、貧困削減レジームから現在の持続可能な開発レジームに至るまで、「適正技術」が息を吹き返す時期があったとも思えない。前回本書を紹介した時、僕は原書が2001年発刊で、そろそろ改訂版出ないものかと愚痴ったぐらいだが、本書自体が既に2001年時点では改訂版で、初版『Mastering The Machine』は1991年に出ている。適正技術開発運動が90年代に注目されなくなったという意味では、流れに掉さす2001年の改訂は必要だったとは言えるが、それ以降に改訂が必要だったとはなかなか考えにくい。「2030アジェンダ」策定過程でも、先進国の技術にもっとアクセスさせろというのが途上国側の要求だったので、自分たちの文脈に最も合った技術は自分たちで開発して行こうという機運が再び盛り上がってきたということはない。

ただ、それでも可能性を感じさせられるのは、遠藤氏の取組みや、MITのD-Labがやろうとしていること、さらには世界的なメイカー・ムーブメント等の動きだろうと思う。本書の中でのもう1つのキーワードは「ライト・エンジニアリング」(軽工業的な小型の機械、金属加工品、電気機器などを設計・製造する分野)だが、その事例として、アフリカのいくつかの国でITDGが支援して設立された小規模なライト・エンジニアリング機関の話が出てくる。起業したい人は、そこで最新の機器を借り(そしてのちに自身で購入して)、新しい技術や事業開発について助言や訓練を受けることができるという。これって、出現時期は全然違うけれど、市民向けデジタル工房「ファブラボ」が有する機能と極めて近いと思う。

技術はひとりでに発展するものではない(中略)。技術の発展は意識的・無意識的な選択や決断の産物であり、そうした選択や決断はすべて社会的・歴史的な文脈の中で行なわれる。何の修正もなしに技術を「移転」できるという考え方は、過去の歴史を見てみても、ほとんど根拠がない。「移転」には必ずといっていいほど修正が必要なのだ。そして、技術を修正する過程そのものが、別の発展を刺激することも多い。しかし、その意味合いは明白だ。技術を現地のニーズや状況に適応させるためには、現地のスキルが必要だ。「爪の汚れた人々」、つまり自分たちの扱っている素材について詳しい知識を持っている思想家が必要なのだ。(p.152)

適正技術や中間技術に対する取組みは、たいていボトムアップでプロトタイプ開発プロジェクトから始まるのだと著者は言う。当然その有効性にはそのプロトタイプに特有の文脈が重要となるという。これって、ファブラボのような組織を利用して、既に世界のどこかで存在するものを自分の文脈に合わせてカスタマイズして自分で作ってしまおうとする今のデジタルものづくりとすごく通じるように思える。そして、著者は政府はこうしたボトムアップのプロセスを促進する環境づくりに取り組むよう提言している。

今回の再読は自分がブータンにいてここで起こっていることを見ていて感じていたことを自分なりに整理するには非常に有効だった。原書と突き合わせて読んでいって、本書の中でブータンに関する直接的な記述は存在しないことがわかった。本書の主な舞台はガーナ、ジンバブエ、タンザニア等のアフリカの国々と、南アジアのバングラデシュ等である。また、邦訳版では小見出しに相当な意訳が行われていることや、原書に見られるような構成では必ずしもなく、2つの節をドッキングさせているような編集もなされていることがわかった。印象から言うと、原書の方が読みやすいかもしれません。

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