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離任カウントダウン3 [インド心残り]

6月22日(火)の日誌――。

早朝、引越貨物のパッキングリストを作成する作業をやっていたら出勤時間ギリギリまでかかってしまった。しかもいざ出勤という段階になってなぜだかお腹がゆるくなり、10分ほどトイレで過ごすはめになった。

この日は後任の方に直接ブリーフィングして仕事を引き継ぐ以前の問題として、僕がいる間に作業終了期限が切られている作業に追われて過ごした。お昼と夜に大きな集まりがあり、そこで多くの方々にまとめてご挨拶して後任を紹介することにした。準備していた名刺を使い果たしたと言っていたので、一気に引継ぎという目論みは少しは奏功したかと思う。

特筆すべきは夜の部。これは離任に当って僕がかなりこだわったところで、この3年間の間に名刺交換したデリー市内及び周辺州の方々をお招きし、後任お披露目も兼ねて謝恩夕食会を主催したものだ。4月の段階から構想して会場確保をしていた。仕事の側面はないとは言わないが、仕事上の関係がなかった友人という方も結構あったので、当然のことながら費用は自腹だ。

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離任カウントダウン4 [インド心残り]

6月21日(月)の日誌―――。

今日から後任の本邦派遣スタッフが職場に加わり、引継ぎや挨拶回りを開始した。その合間をぬって、僕が積み残していた仕事を幾つか片付けた。ついでに、22日が期限になっていた会社のウェブベース研修も最後の修了試験に挑戦し、何とか合格を果たして研修を修了することができた。

夜は職場と関係機関の共催で歓送迎会をやっていただいた。ご出席下さった皆様方、ありがとうございました。

今日は本当に以上のことだけで終わった感じ。

離任カウントダウン5 [インド心残り]

6月20日(日)の日誌です―――。

1)前の晩いくらお呼ばれしても朝は5時台に目覚めるところがオヤジである。前日の日誌をブログ記事にアップした後、今日が父の日であることに気づき、実家の父親に電話したところ不在、ミクシィの母のアカウントにメッセージを送っておいた。ついでに東京の自宅の妻にも電話。

2)前日からの仕事の持ち越しで、うちの運転手とメイドの推薦状を書き上げた。一応会社のレターヘッドに印刷しておいた方がいいだろうと思い、午前10時過ぎから再び休日出勤。1時間で所定の作業をすべて終え、正午前にいったん帰宅した。

3)午後は日本人学校で最後の剣道の稽古。空調の効いていない体育館はサウナのようで、道着を着ているだけでも汗が噴き出してくる。防具や竹刀もここまで運んでくる間にたっぷり熱を帯び、胴はまるで発汗ベルトのような状態だった。最後の稽古だけにちゃんとやりたいと思ったのだが、このところ運動不足と睡眠不足が重なっており、そこに暑さが加わって大変キツイ稽古となった。十分水分補給もしたし、休憩も挟んだが、貧血気味で最後はふらふらだった。

4)帰宅後、近所のディフェンス・コロニー地区のマーケットに行き、妻から頼まれていた残りの買い物を済ませた。花粉症に効く「アレグラ」と乾燥イチジク。小袋に分けられたHaldiram'sの「Moong Dal」はマーケットのお店では見当たらず、仕方ないので明日コンノートプレイスのHaldiramのレストランに行って買ってこようと思う。

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離任カウントダウン6 [インド心残り]

6月19日(土)、前夜から再びとりかかった別送航空貨物のパッキング作業は、あとは職場に置いてあった文房具類と、この1週間分ためた衣類を洗濯して箱詰めすればほぼ終了というところまできた。パッキング作業に目途がたったので、妻から頼まれていたお土産等をまとめ買いする買い物に時間を費やした。

Ghulam.jpg1)先週訪れたマハラシュトラ州ロナヴァラが舞台として登場するボリウッド映画のDVD(『Ghulam』、『Karthik Calling Karthik』)。まあ最近の作品である『Karthik Calling Karthik』はどこのお店にも置いてあるが、1998年の作品である『Ghulam』は置いてあるお店も限られている。経験上掘り出し物が置いてある可能性が最も高いのはニューフレンズ・コロニー地区のマーケットにあるお店だと思い、久し振りにニューフレンズ・コロニーに足を踏み入れた。

少々話が脱線するが、『Ghulam』は僕がネパールに駐在していた最後の頃の作品で、主演はアーミル・カーン。ストーリーはあまり知らなかったが、プロモ・ビデオはテレビで頻繁に流れており、挿入されている歌でアーミル・カーンが踊るシーンを見て、離任直前に現地人スタッフ全員をオフィスの近所のレストランに集めて謝恩夕食会を開いた際の余興を思い付き、アーミル・カーンの瞬間芸を披露してスタッフに大受けしたのを思い出す。

2)14時少し前から約3時間オフィスに出かけ、自分の机を明け渡すための最後の書類整理と、若干やり残してあった仕事を片付けるのに時間を費やした。ついでに、うちの運転手やメイドの今後の就職活動用に紹介状の下書きの作業も少しやった。それでも終われず、どうしてもオフィスを出なければならなくなったので、20日(日)も午前中にオフィスに行ってもう少しだけ仕事を片付けることにした。

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離任カウントダウン7 [インド心残り]

僕がインドを発つ日まで、ちょうど残り1週間を切った。休暇をプネで過ごした後、本社から来られた出張者の応対を1人でこなし、会食の応対もした後、今日(18日)からいよいよ離任の本格準備に突入した。

1)朝2時に起き(たまたまです)、別送分の航空貨物のパッキングを開始。書籍や贈答品、TVゲーム等を詰め込む作業をやっていて、いつの間にか朝を迎えていた。

2)朝出勤すると、金曜日のルーティンワークを終え、先ずはスタンダードチャータード銀行(以下、「スタチャン」)に行って銀行口座解約の手続きを取った。
ATMを利用できる利便性はあったものの、スタチャンは、①担当者がコロコロ代わり、交代したこともアナウンスされないから何かちょっとひねった取引をする必要がある時に担当者を特定するのに時間がかかる、②我が社を担当しているセールスマネージャーが約束した日時に来ず、遅れるとの連絡も事前に寄越さない、③顧客サービスのマネージャーとバックオフィスのマネージャーの連携がゼロで、外交で取って来たクレジットカードの申請書を、いったんバックオフィスに渡してしまうと顧客サービス部門の担当者は後のフォローを全くやらない、といったサービスの悪さがずっと気になっていた。うちの職場にはわざわざ店頭に行ったのに行員に罵倒された経験のある者もいる。

噂には聞いていたがバラカンバ・ロード(Barakhamba Road)の支店の行員は柄が悪く、客が来ているのに職場の同僚と無駄話を止めないし、横柄だし、まるで「話の邪魔をするな」と言わんばかりの人間だった。「なぜ解約するのか」と聞かれ、「帰国するから」と取りあえず答えたが、本音を言うと「お前のところのサービスが劣悪だから」と言いたかった。(それ言ったら多分食い下がってきて余計に時間がかかっただろう。)

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コンノートプレイスの混乱 [インド心残り]

コンノートプレイスの外周で街路改修改装工事が開始されたのは今年1月のことだ。

僕は職場がこの外周の外側のビルにあり、昼食の際にはオフィスを出て外周内側の商店街の中にあるレストランか外周外側の道路沿いにある定食屋に行くことが多かったのだが、この道路を渡る地下道が封鎖されて混雑する道路をいつ変わるかもわからぬ信号など当てにせずに渡らなければならなかったり、或いは道幅が制限されているために路肩いっぱいのところを走ってくる車やバイクに注意しながら路肩を歩いて定食屋に行ったりするのはなかなか至難の業だ。昼食に出かけるのも命がけだった。計画では地下道をもっと沢山設けるということだったが、工期を考えたら歩道橋の方がよかったのではないかとすら思う。お陰で多くの店舗が来店者数の激減で影響を受けている。結構気に入っていた南インド料理のレストラン『Banana Leaf』や『Mosaic』も、主要グルメ雑誌や新聞紙上でも紹介される名店だったにも関わらず、店舗改装を理由に店を閉じてしまって今日に至っている。

当初発表ではこの改修改装工事は6ヵ月で終了すると言われていた。それから間もなく目標の6ヵ月が終わろうとしているが、工事が終了する気配はいっこうにない。

そんな時、6月10日(木)付のHindu紙第2面に「コンノートプレイスの改修改装工事は時間がかかりそう(CP renovation to take longer)」(Manisha Jha通信員)という記事が掲載された。

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偶然の再会 [インド心残り]

インド離任が決まった時、離任前に最後に訪問したいと考えたのはマハラシュトラ州プネであった。

International Longevity Centre(ILC)のゴカレ博士とSevadham Trustのゴレ博士にちゃんとご挨拶しておきたかったし、最後の悪あがきで観光するならプネとムンバイを結ぶハイウェイ上に位置するロナヴァラに行きたかった。今度の異動でひょっとしたらここ1年近い間業務多忙で頓挫しかかっていたアジアの人口高齢化研究を立て直していける可能性が強いだけに、取り分けゴカレ博士にはちゃんとご挨拶して今後の交流もお願いしておいた方が良いとも思った。

最初は休暇も入れて12日(土)~18日(金)のかなり長めの休暇日程を考えていた。ところが、本社から僕が担当してきた案件について僕の離任前に出張者が派遣されてくることになった。僕の方からは、17、18日で仕事してもらえるよう出張日程を組んで下さいとお願いしていたのだが、今朝(7日)になってこの出張者が15日(火)にはデリーに到着するフライトで日程を組んでいると本社から聞かされ、このため僕もそれに合わせて15日(火)夜にはプネからデリーに戻ってくる必要が生じてしまった。

元々14、15日は日本のNGOが支援しているプネ郊外の村落を訪問させていただく予定を入れ、その後両博士を表敬する日程を考えていたため、15日夜プネを出発してしまう日程ではお二人に会えなくなる。このため、プネ入りを1日早めて11日(金)夕方とし、土曜日の日中をフルに使ってお二人をご自宅に訪問する日程を組めないかと考え、お二人の事務所に連絡を入れた。

ゴレ博士の自宅訪問はアポがすぐ取れたが、ゴカレ博士に関してはILC事務局に電話したところ、ゴカレ博士がたまたま今日はデリーに来られており、明日(8日)プネに帰る予定だと聞かされた。社会正義エンパワーメント省で行なわれた会議に出席しているのだという。携帯の番号を聞いたので、夕方さっそく博士に電話を入れてみた。「なんだったら今晩食事しようよ」――そんなお誘いを受けた。

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私、グルの味方です [インド心残り]

グル、社会責任を担う
Gul takes up a good cause
5月15日、Hindustan Times(Indo-Asian News Service)
【ニューデリー発】 女優グル・パナグが女児堕胎や麻薬中毒といった社会悪に対する啓発活動に関わろうとしている。こうした取組みにあたってチャンディガルの行政と協力関係を結んだ。
 「私たちのNGO(Shamsher Singh Foundation)は、全精力を注いで女児堕胎と麻薬中毒反対への理解促進プログラムを進め、この地域で大きな成功を目指したいと思います」とグルは述べる。
http://www.hindustantimes.com/Gul-takes-up--a-good-cause/Article1-543617.aspx

GulPanag.jpg GulPanagTataSky.jpg

「ボリウッド女優の中で誰がいちばん好きですか?」――この質問にはかなり答えにくい。1990年代後半であればマニーシャのファンだったが、そこにマードゥリー・ディクシットをどう位置付けるかで困ってしまうことが多い。2人が殆ど銀幕に登場しなくなってしまった今も、この質問は正直答えに悩む。ディーピカやプリヤンカと言いたいところだが、あまりにもありふれているかも。だから、プリヤンカと同じくミス・インディア出身ながら、どちらかというと演技派と評価されているグル・パナグを挙げるようにしている。

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ケララ再訪の誓い [インド心残り]

20日(木)、デリーで人材派遣会社を経営されている社長Mさんと夕食をご一緒した。6月に僕が離任する時期にはケララの実家に戻って父親と3週間ほど過ごす予定で、その前に一度僕とゆっくり話をしたいというお誘いを受け、急遽会うことにしたのだ。Mさんのお父さんは78歳、Mさんは僕と同い年で長男ときた。故郷に年老いた親を残して大都会で仕事をしているという境遇は僕とも近く、加えて僕がケララに関心を持っていたこともあって、普段から再三にわたって「ケララに来てよ」とMさんからはお誘いをいただいていた。

ケララへのお誘いについては実現できずにここまで来てしまった。僕がケララを訪れたのは2009年2月のトリバンドラムでの国際会議の1回のみ。先週は会社の仕事の関係でケララを訪れたスタッフが2グループもいた割に、僕はこの仕事の方のラインとあまりにも関係が薄く、出張も兼ねて訪れるなんてセコイ機会は一度も訪れなかった。僕は基本は内勤の仕事なので仕方がないとはいえなんか悔しい…。

だったらプライベートでと言われてももなかなか難しいのです。デリーとケララとでは日本列島を縦に伸ばす以上に離れている。僕は北海道には三度行ったことがあるが、沖縄はゼロだ。デリーからケララにプライベートで行くのはそれ以上に難しい。離任の話を聞いた時、一瞬ケララに行けないかと考えた。しかしやめた。5月、6月のケララは天気が良くないらしい。「行くなら12月だよ」とMさんは仰っていた。

Mさんと会って話したら、ますます行けなかったことが口惜しく感じてしまった。でも、Mさんとの会食で今後の自分の研究の進め方についてヒントめいたものを得ることができた。今年度は既に大学院を休学してしまっているし、今年の12月はウッタルプラデシュ州在住の別の知人から結婚式に呼ばれているのでケララにはとても行けない。でも、来年の年末年始なら、妻同伴で行ってみたい。妻にはアユルヴェーダのマッサージの研究でもしてもらっておいて、僕は農村在住の高齢者と遠隔地に住む家族が一同に会する機会に一気に聞き取り調査だ。

ケララに来たら1週間ぐらいうちに泊まって行けとMさんには誘われている。出稼ぎで息子たちが稼いでいるから、ケララに住む高齢者は送金で潤っている。農地を整備して「ホームステッド(homestead)」とMさんは呼んでいたが大きな自営農園を持っている。普段の世話は使用人を雇っているのだとか。

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タゴール生誕150周年 [インド心残り]

シャンティニケタン、タゴール生誕記念祭に邁進
Santiniketan gears up for Tagore birth anniversary celebrations
5月9日、The Hindu
【コルカタ発】 ラビンドラナート・タゴールの生誕150周年記念祭を祝おうと、世界中から人々がシャンティニケタンに集結しつつある。彼の生家は日曜日のタゴール誕生日を前にきれいに整備された。シャンティニケタンでのプログラムは、日曜早朝、ビシュバ・バラティ大学の学生と教員が「バイタリク(baitalik)」と呼ばれる行進を彼の歌を歌いながら行なう行事によって公式にスタートを切る。
 タゴールの生家であるジョラサンコ・マンション(Jorasanko mansion)は、彼が生まれ1941年に息を引き取った家でもある。今この家は花で飾られている。
 タゴールの歌の歌唱で知られる第一人者のグループは、ラビンドラ・サダンで芸術文化プログラムを開催する予定である。
 日曜日には、「サンスクリティ特急」と呼ばれる特別列車の運行が開始され、国内各地でタゴールの生涯とその業績を振り返る旅が企画される。列車はハウラー駅(コルカタ)でママター・バナジー鉄道大臣によって除幕式が行なわれる。(後略)
*記事全文は下記URLからダウンロード可能です。
 http://www.thehindu.com/2010/05/09/stories/2010050959500500.htm
僕が最後に西ベンガル州シャンティニケタンを訪れたのは2008年12月のことで、あれから既に1年半が経過してしまっている。シャンティニケタンは僕の家のある三鷹の国際交流協会がインドにスタディツアーに来る度に訪れている町であり、過去に自分も一応3回訪問しているという点ではやることはやったと思うが、僕がギターを買って日本の70年代フォークを演奏できるようになろうと思ったきっかけとなったビシュバ・バラティ大学の学生との交流は、結局それ以降実現せず、練習の成果を披露する機会も僕の離任で失われてしまった。仕事をしている間は休暇を取って悠長にシャンティニケタンまでスタディツアーに参加して出かけるなんてことはできないだろうから、もう当分の間シャンティニケタン訪問はないだろう。

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